第三章 07



 その日は、宿をとらなかった。ディノの手術をした街医者が、病院の空き部屋を貸してくれたのだ。下手に動くよりは下町の病院にいた方がいいし、ディノも一日くらいは安静にしておいた方がいい。手術後の休養は、いくらあっても足りないだろう。
「あんたの父親は政治は下手だったけどね、ワシゃ好きだったよ。それだけさ」
 何か裏でもあるのかと勘繰るヘラルドたちに、医者はマリソルを見て、そう言った。人の善意というものにこれほど感謝したことはない。
「まあ、この貴族さんに手術代はたんまりもらったからな。お互い様さ」
 と、医者がニンマリと人の悪い笑みを浮かべると、少女も周囲の大人たちも、温かな雰囲気になった。
 夜、マリソルは病院の廊下の椅子で、ぼんやりと波の音を聞いていた。昼間から興奮気味で、なかなか寝つける様子ではなかったのだ。海に近い下町では、夜、静かになると波の音がよく聞こえる。それに耳を傾けていると、逸る気持ちが落ち着いてくる気がした。
 カツカツ、という足音に顔を向けると、包帯姿に上着を羽織ったディノがいた。目で隣の椅子を示すので、マリソルも視線で頷く。
「どしたの、おっさん」
 どっかりと隣の椅子に座る連れの傭兵に、少女は不思議そうに訊ねた。一番休んでいてほしい人間だ。
「マリソル、ちょっとさ、お兄さんの懺悔でも聞いてよ」
「ナニそれ」
 教会に特に疎いマリソルは、『懺悔』という言葉に瞬きを繰り返す。そもそも、そんな弱気な言葉をディノから聞いたことは、今まであまりない。一体、何を話すのだろうかと、彼女は緊張した。
 一度、深く息を吸い、長く吐く。その深呼吸を二度三度すると、男は少しずつ、話し始めた。
「俺は下層市民の出で、大金が欲しくて兵士になったって話はしたよな」
 デンタの村で、父との思い出話をしてくれた時に、そんな話が出たことを、少女は憶えている。「うん」と、小さく頷いて続きを促した。
「それは、さ。妹を買い戻すために、金が要ったんだ」
 ちらりと、マリソルはディノの顔を盗み見る。彼は真正面を向いたまま、続きを話した。
「働けど働けど、俺の家は金がなくてね。妹が娼婦になった。それを買い戻したかった。
 ルクシルヴァの戦いが終わった後、兵士に払われる報酬とは別に、フェリクスは大金を俺にくれた。娼婦を真っ当な道に戻すのに、充分な額の金を」
 十年前のことだろうか。あの、会ったことがあると言った時の。訊ねてみたかったが、少女は静かに聞くことにした。
「それで故郷に帰ったけどね。遅かったんだ。戦争のフラストレーションもあったんだろう。妹は客に嬲り殺しにされて、死んでた」
 ぴたり、とマリソルの動きが止まる。あまりに重い言葉だった。そして、思い出した。自分が――自業自得とはいえ――娼館の男たちに襲われた時、娼婦で商売をする奴らを許せないと言っていたことを。その背景に、彼の妹がいたのだ。
「それから、まあ、大金も使い道なくてさ。返すに返せなくて、傭兵として各地を転々としたんだけど。あるところでね、植人(フランタ)の女の子が、人間たちに嬲り殺しに遭っている場面に出くわした。それが妹と重なって、俺は人間の奴らをボコボコにしてた。当時の雇い主の息子もいたのに、ね」
 自嘲気味な笑みが零れる。衝撃的な話に、少女は聞くことしかできなかった。
「そんな時、フェリクスに会いに行ったんだ。俺も、答えがなくて困ってたんだろう。
 久しぶりに会って、お互いの身の上話でもして、さっきの話もフェリクスにした。
 『結局、何が守りたくて戦ってたのかねえ、俺たち』って。俺は自分の迷いだけで、そう言ったんだ。奴は神妙な顔で聞いてたよ。
 その別れた数日後、あいつは軍役引退宣言をしたんだ」
 ふいに、隣のディノの顔を、少女は見つめた。傭兵の男は始終変わりなく、正面を向いたまま、遠い目をして語っている。
「俺のせいかもしれないと思ったよ。真相が知りたくてね、急いでボカに戻った。
 そうしたら、マリソルが屋敷から飛び出してきた」
 あの、全ての始まりの。父が死んだ現場を見た少女が、半狂乱で屋敷から走って出てきたところに、彼と出会った。あれは、軍役引退宣言をした友人に、本心を問い質すためにやってきたところだったのだ。
「真相は闇の中だ。だが、俺の言葉のせいで、フェリクスは死ぬことになったと、そう、ずっと思ってた」
 許されたいのだろうか、ディノは思う。こんな十五の娘に自分の胸の内を吐露して、それで満足なのだろうか。あまりに弱い自分に、吐き気がする。
「ディノのせいじゃないよ」
 マリソルの言葉は、今までのものと違っていた。大きな声ではないが、芯の強い声で、そう告げる。
「ディノのせい、だけじゃない」
 それは優しい慰めというより、自分を戒める言葉だった。父が死ぬことになった背景には、ディノだけではなく、自分の言動も影響しているだろう。もちろん実際に殺害したのはアルマスの植人だが、そうなってしまった状況には、様々な人が関係しているはずだ。
 ディノも、そしてマリソルも。
 だからといって、互いに慰め合う言葉を、二人は持たない。
「そうか……」
 互いに同じ罪を犯したことを、知っている。それは全ての人が犯す罪でもあり、全ての人が償える罪でもある。二人はフェリクスにとっての、『共犯者』だった。そして、償うためにも、こうしてここにいる。
 それでディノの話は終わりだった。二人はしばらく、そうして波の音を聞いていた。