第三章 06
マリソルが下町の病院へと戻る頃には、夕日で空が赤く染まり始めていた。追っ手が来ていないか、建物に近づくとともに警戒したが、どうやらいないようだ。
平屋の建物の入り口で、自身の馬車を整理していたヘラルドが、
「ディノの手術、終わったよ」
と、告げた。縫合手術は成功したらしい。その言葉にほっと安堵の溜息が漏れる。
「声聞いてるだけで、痛そうだったわよぉ」
実際に見てはいないらしいが、ディノの悲鳴を聞いた感想を、馬の手入れをしていたリウィアイが笑いながら述べる。
「様子見てくる」
「あとでわたしたちも行くわ」
おっかなびっくりのマリソルを、彼女はいたずらっ子の笑顔で送り出した。
病院の中へ入ると、医者が奥のベッドが並ぶ部屋を指差す。その一角に、仕切りのカーテンがひかれたスペースがあり、少女はその仕切り布を恐る恐る開けた。
「……おっさん、どう?」
「……マリソル。大丈夫」
ベッドに横たわる傭兵は、少々やつれていたが、彼女の問いかけに平気だと頷いた。包帯はしっかりと巻き直され、手術の後は見えなかったが、彼の疲れた顔色から、外科手術の大変さを窺い知る。
「こうしてりゃ、自然とくっつくんだ。千切れないように気を付ければ、戦えるよ」
「……いや、無理だと思う、あたしは」
様々な戦場を渡り、仕事をしてきた傭兵の言葉は強い。ある程度の傷ならば、戦えるというのだから。マリソルは、自分だったら、ちょっとの傷でも足がすくんでしまうと考えた。自分の肩を斬られたらと思うと、ゾッとする。
「何かを見つけてきた目だね」
ベッドから起き上がり、壁に背を預けて座って、ディノは少女の瞳を覗きこんで微笑んだ。マリソルは赤い目をしているのかと思うと照れくさかったが、ゆっくりと首を縦に振る。
「大切なものが、わかった」
噛みしめるように、そう呟く。
そして、まっすぐにディノを見て、告げた。
「おっさんはさ、あたしに『言葉にしなさい』って言ったじゃん」
「ああ、そうだねえ」
旅の最初の時、少女が自分の気持ちがわからなくなった時、彼はそれを『言葉にしなさい』と言った。
「けどさ、やっぱ言葉にならないものもあるよ」
それはつき返すようにではなく、新しい発見をしたように出された声だった。
「好きなんだ。ボカの街も、……パパも、ママも」
好きだという気持ちは、その理由は、簡単には言葉にならないのだ。一つの言葉では語りつくせない複雑な愛情。愛憎入り混じると言うが、愛しさも憎しみも、寂しさも切なさも、懐かしさも恋しさも、全て綯い交ぜにしたような感情を、少女は『好き』だと表現するのだ。
その彼女の発見に、ディノは温かい視線を送った。マリソルはそれを、自分で見つけたのだ。
「だから、やっぱりアイツらには、ぎゃふんって言わせる!」
その言葉に、今まで付き添ってきた傭兵の男は、破顔一笑した。あの時と同じ言葉が出てきたのに、全く別の言葉に聞こえる。それは、このボカの街で出会った頃と、外見も中身も変わったからだろうか。
「ぎゃふんって何だい?」
馬車の手入れが終わったのだろう、ヘラルドとリウィアイが部屋に入ってきた。先程の声が聞こえたようだ。
「どうやらマリソルは、フェリクスの遺産と権利を相続する決意をしたらしい」
問いかけた友人に、ディノは『ぎゃふん』の中身を教えた。マリソル自身はそう言っていないが、自動的にそういうことになるだろう。
「お祖父ちゃんとアルマスに、この街を好きにさせない。
あと、パパを殺した犯人を、捕まえる」
たとえリノやアニタの兄の働き口だとしても、アルマスの工場で兵器を作らせない。そして、父を殺した植人(フランタ)を、捕える。それがマリソルの決めたことだった。そのために、父の遺産やボカの街を治める権利を継ぐことになるのだとしても、それでもいいと決めていた。
「あの植人、そう簡単に捕まるかな?」
デンタの村で対峙したヘラルドは、そう首を捻る。
「あたし、パパを殺した現場の目撃者なんだけど、それを使ってさ、逮捕できないかな、あの植人。殺すんじゃなくて、そうやって、裁いてほしい」
復讐をかざして殺人を犯すのではなく、法によって裁きを下したい、というのだ。
「それなら正式な手続きをして彼と対面して、『あの人が犯人です』って言えばいいんじゃないかい?」
ヘラルドは持ち合わせた知識で、そう答えた。
「なら、ともかく二つの手続きをしに行かなきゃね」
リウィアイが言う二つというのは、フェリクスの遺産と権利を相続する手続きと、ヴェルデを逮捕するために面通しする手続きである。
と、彼女は部屋の窓から外を眺める。真っ赤に染まった空は、やがて夜へと変わりそうだった。
「明日に、ね」
「対面するってことは、また戦うことになるかもしれないな。抵抗しないとも限らないし」
縫合したばかりの右肩に手を置き、ディノは顔を引き締めた。
「無茶すんなよ、おっさん」
「だーから大丈夫だって。向こうだって無傷じゃないんだ」
この前の戦いで、ヴェルデは傷を負っている。その前の戦いでも右腕を負傷していた。傷があるのはお互い様というわけだ。
「オレも戦うよー」
「あら、じゃあわたしも?」
腰の片手銃を指差して、ヘラルドが笑う。その隣にいたリウィアイも、仕方ないわねえと頷いた。
「どうしてそんな、戦ってくれるの?」
戦うということは、下手をすれば命に関わるということだ。何故、自分のことのために、直接関係のない大人たちが命を張ってくれるのか、マリソルはよくわからなかった。
「フェリクスの娘だから」
ディノは、何故わからないのか、と問うように、そう答えた。
「それに、フェリクスを殺した奴を、ぶっ倒したいから」
それだけだよ、とヘラルドも微笑む。
父親のことが、今までずっとよくわからなかった。『石の樹』を倒した英雄とされながらも、貴族社会では羨望や嫉妬に苛まれ、大地神信仰の教会からは非難されてきた。突然の引退宣言は、周囲に激震を与えた。マリソルには、身勝手な父親だと、そう映っていたのだ。何がしたかったのか、娘にはわからないままだった。
だが、その父親のために、その父親の仇を取りたいと、友人たちは当たり前のように戦うと言っている。
「あたしが言うの、ヘンかもしれないけど……ありがとう、ございます」
自分の味方がいることの頼もしさ。それを今、少女は痛いほどに感じていた。
そして、その味方を、自分も守りたいと、そう強く強く思う。
夕暮れの太陽は、西の水平線に消えようとしていた。