第三章 04



 その翌日、マリソルはボカの街へと戻ってきた。市門を越えるのは、さほど難しくなかった。ヘラルドたちの許可証を使い、ディノとマリソルは幌馬車の中でわずかな変装をしていれば事足りた。英雄の娘と雇われ傭兵を探しているという様子もなく、おそらくまだガルガンタへの道を警戒していて、その伝達がうまく行っていないのだろう、というのがディノの見解だった。
 久しぶりに帰ってきたボカの街は、マリソルが離れる前と違って見えた。まず、活気がある。フェリクスが治めていた時は、浮浪者や乞食の問題が多くあったが、そうした者たちも以前に比べて見かけない。
「なんか…………変わった……」
 幌馬車の中から故郷を見て、少女がポツリと呟く。そこには戸惑いの色がはっきりと表れていた。
 まず傷ついたディノを医者に見せなければならなかったので、宿を探す前に街医者の元へと馬車を走らせた。マリソルも掛かったことのある下町の医者の元を訪れると、彼はマリソルに気付いてか気付いていないのか、快く入れてくれた。
 ディノの負った傷を見て、
「まだうまく、くっつき始めてないな。縫うだろう?」
 と、意思を確かめる。肩の傷を見せた傭兵が頷くと、医者は用意をし始め、すぐに手術へと移ることになった。
「少し時間がかかる。親しい人たちにでも会ってきたらどうだい?」
 そう、医者はマリソルの顔を見て言った。やはり気付いていたのだ。緊張が走る。が、彼の穏やかな笑顔を見ていると、医者がアルマスや祖父のセフェリノに知らせようとしているとは、思えなかった。故郷の人の顔だ。
 ヘラルドとリウィアイを見ると、いいよ、と頷いた。
「護衛しようか?」
「んーん。多分、だいじょぶ」
 確かに街は変わっていた。だが、警戒さえしていれば、特に危険な目には遭わないだろう。故郷の街である。そう、信じたかった。あの時の、オーフォの街と同じようなことには、絶対にしない。そう、心に誓う。
 街医者の病院から外へ出ると、びゅう、と風が吹いた。海の方向からの風だ。潮のにおいがする。帰ってきたんだ。マリソルはそう、強く感じた。
 行きたかった場所がある。いや、会いたかった人たち、というべきだろう。彼女の足は、繁華街へと向いた。あの夜と同じように、それは長い月日の習性だった。
 港に隣接するボカの街は、勾配が激しい。ディノたちのいる病院は海の近く、文字通り下町にある。そこから坂と階段でできた道を上っていくと、服屋や飲食店の多い、繁華街へと行くことができた。
 その中から、『カフェ・オイエンディア』へと足を向ける。安くて若者に人気があり、いつもアニタやリノと、カフェ一杯でねばって喋った店だ。そこに、もしかしたら、いるかもしれない。そう思うと、心が逸った。
 しかし、こうして見ていると、繁華街だというのに、道端にいる浮浪者や乞食が本当に少ない。繁華街自体も、いつもより人が多く、賑やかな気がした。嬉しい半面、気持ちをぐっと引き締める。ここはもう、敵の手の中とも言えるのだ。
 『カフェ・オイエンディア』。カランッとドアのベルを鳴らし、入ると、中は若者を中心に賑わっていた。その人々の顔を見分けていき、一番会いたかった人たちの顔に辿り着く。
 ――やっぱ、ここにいた!
「アニタ! リノ!」
 奥の四人掛けの席でアイスティーを飲んでいた茶色い髪の少女と、カフェオレを飲んでいた金髪の少年が振り返る。少しの間を置いて、二人は自分たちに手を振っている黒髪の少女を指差して叫んだ。
「マリ~!!」
 少しビクついて辺りを見回してしまったが、特に大丈夫なようだ。マリソルは急いで二人に駆け寄り、席に座る。
「ちょー久しぶり!」
「アンタ、どこ行ってたの!?」
「んー、ちょっとね。大変だったわけよ」
 身を乗り出して心配そうにする二人に、少女は歯切れ悪く、だが笑顔で答えた。今度、事態を収束させたら、ちゃんと話そう。そう心に決める。
「二人は? 元気だった?」
 単純に自分がいなかった時のことを聞きたい、その思いだった。今度はこちらが身を乗り出す。そんなマリソルに、二人は顔を見合わせて笑った。
「なんとー、リノの奴、働き口決まったの!」
「マジで!? おめでとー!」
 素直に喜びを表現する少女に、リノが照れ笑いをしながら告げる。
「アルマス商会っつーところの工場なんだけどよ」
 次の瞬間、マリソルの顔が固まった。が、笑顔を続ける。悟られたら、話さなければならなくなる。二人を危険に巻き込むわけにはいかない。
「へぇー、すごいじゃん」
「新しい運営?で、大量に雇っててさ、ウチの兄貴もそこ行くんだ」
「……へえー」
 アニタの言葉にも、曖昧な相槌を打つ。リノと、アニタの兄の就職先は、アルマスの工場になったのだ。今まで、雇ってくれるところがないと愚痴っていたリノを、励ましてきたことを思い出す。喜ばなきゃ。
「とにかく、おめでとー!」
「なんか、アイツら来てから街、良くなったんだけどさ、乗っ取ろうってしてんのかな?」
「かもかもー」
 ここは適当な口調で。深刻に言ったら、それこそ一から話すことになりそうだ。
「っつかさ、工場でやることも、まだよく知んねえんだけど、植人(フランタ)がわらわら居るんだぜ? あいつらの目、俺、怖ぇよ」
 不安そうに、リノが肩をブルッと震わせる。
 植人がわらわら……と、マリソルは笑顔のまま、そのことを考えた。たとえば、父や娼館の男たちを殺した、あの深緑の宝玉と、何か関係があるのだろうか。植人の魔法なのだろうか、あの宝玉は? 扱っていたのも植人だし。
 ふとマリソルは、喉の奥が締まるような、胸が痞(つか)えるような、この辛さは何だろう、と思った。一番会いたかった友達に、話したいことが話せなくて、嘘吐きたくないから曖昧にしか答えられなくて、巻き込みたくなくて、だけど聞いてほしくて。そう、一番大切な友達なのに。
「また戦争になるんでしょぉ?」
 心底かったるそうに、アニタが言った。
「ウチさ、兄貴と親父連れてかれたら、お祖父ちゃんの世話、わたしがしなきゃなんだよね」
 しかし、その面倒くさそうな声音の中には、本気で心配している雰囲気も混じっていた。
 アニタの家は母親が急逝したため、家事と病気の祖父の世話を分担でやっている。戦争が始まり、兵士や工場の働き手に家族をとられると、その仕事をアニタ一人で担わなくてはならなくなるのだ。十代の少女も工場で働くことになり、祖父を病院に入れなければならない可能性だってある。そうすれば、家族はバラバラだ。
「……うん」
 十代の少年少女では、戦争は止められない。マリソルがフェリクス・パドルの、英雄の娘であっても、その大きな流れは塞き止められないだろう。
「でも、街は良くなったっ――
「アニタ!」
 リノの叱責に、彼女はハッと口を噤んだ。街が良くなったというのは、『フェリクス・パドルが治めていた時より』という意味になるからだ。友達の父親のことを悪く言うところだったと、アニタは極まり悪く女友達に頭を下げた。
「マジごめん」
「いいよ……」
 マリソルも、力なく笑って許す。彼女自身が感じていたことだから、そうじゃないと、友達に強要することはできない。事実、リノやアニタの兄は、働き口が見つかったのだ。今まで採用してくれる工場がなかったのに。それが、アルマス商会の工場だったとしても。
「あたし、そろそろ行くわ」
「そう? マジでごめんね」
「次もっと喋ろうな」
 二人の友人に別れを告げ、マリソルは席を立った。あまり一緒にいると、別れがたくなる。それに、作り笑いや隠し事をずっとし続けるのは、彼女にはとても辛く、困難なことだった。