第三章 03



 ボカへ向かう途中、休憩所で馬を休ませることになった。ヘラルドが井戸の水を飲ませている間に、他の者たちも休憩する。幉(たずな)は持ち主である彼とリウィアイが交代で握っていた。
 休憩所では他の馬車や旅人も、しばしの休息をとっている。井戸の周りに集う人々から少しばかり離れた場所で、マリソルは短剣を振るっていた。幼い頃に教えられた剣の型を思い出す。自分が不甲斐ないばかりに、ディノに怪我をさせたのだ。もう、そんなことにはなりたくない。
「熱心ねえ」
 そこにリウィアイがやってきた。この多くの人々がいる休憩所の中でも、不思議な雰囲気を醸し出している。植人の髪――蔦や葉でできた髪だ――を隠すヴェールは、占い師のようにも見える。
「リウさん」
 愛称にではあるが、敬称をつける。少女の中で、彼女は格上の存在なのだ。
 マリソルは短剣を振るうのをやめ、リウィアイに向き直った。少々、居心地が悪かった。彼女は植人だ。そして少女の父親は、その植人の国を滅ぼした際の英雄なのだ。
「リウさんは……あたしのパパのこと、フェリクス・パドルのこと、どう思ってんすか?」
 なかなか面と向かっては訊けないことだった。少女はちらちらと視線を外しながら、そう植人の女性に問う。
 リウィアイは、昔を思い出すように遠くを見た。「そうねえ」、のったりとした声で言う。
「戦争の時のことは、よく憶えてるわ。でもね、不思議と思い出せないこともあるの。
 メーティスの奴隷になった時は、辛かったわ。とてもね。わたしを買ったのがヘラルドだった。当時、十五歳の」
 自分と同じ年齢に、マリソルは瞬きをした。そんな年で奴隷を買うのはどんな気分か、もし自分が買うとしたらどうしよう……、彼女は考える。だが、いまいち実感は湧かないし、その感覚もわからなかった。
「その時は、すごく嫌だったのを憶えているわ。でもね、買われても別に嫌なことはされなかったし、話しているうちに、ヘラルドのことが好きになったの」
 自分を奴隷として買った相手が好きになるということに、少女は首を捻った。リウィアイも、そんな彼女にころころと笑う。きっと彼らの関係を、長い月日とともに見てみないとわからないことなのだろう。
「そしたら、向こうも好きになっててね。奴隷じゃなくて、対等に付き合いたいって、言ってくれた」
 彼女は足に巻かれた、青銅の飾りを見た。確かに彼女は奴隷身分だ。だが、リウィアイとヘラルドの間では、彼らの関係は対等なのだ。
「辛いことってね、感情が思い出せなくなるの。
 だから戦争のことも、奴隷になった時のことも、辛かったし嫌だったけど、なかなか思い出せないわ。
 戦争はね、感情が思い出せなくても嫌なものよ。でも、貴女のお父さんを直接恨んではいないわ」
 その一言に、マリソルは安堵した。もし、あの青年のように父を恨んでいたら。また、父が恨まれるようなことを彼女にしていたら。そう思うと、不安で仕方なかったのだ。
「貴女のお父さんとは直接会ったことないの、戦争が終わった後もね。敵だって最初は思ってたけど、だんだんヘラルドの友達だって気持ちに変わっていったわ。恋って怖いわよ」
 からかうように笑う植人の女性に、マリソルはふむふむと食いつく。父親についてよりも、そちらについて話したくなってきた。
「もうそろそろ出発するよ」
 そのいいところで、ヘラルドが彼女たちを呼びに来た。ディノは怪我をしているため、あまり動かさない方がいいと思ったのだろう。
「はーい」
 二人で返事をして、馬車へと引き返す。
「マリソルちゃん」
 ふと、ヘラルドが少女を呼んだ。彼女は何だろうと振り返る。
「いろんな人が見た、いろんなフェリクスに会ったでしょ」
 先程の会話を聞いていたのだろうか、彼の言葉に、マリソルは思案顔になった。自分の父親、ディノとヘラルドの友人、植人の青年の首飾りを奪った人間、『石の樹』を倒した騎士……今まで、いろいろな人と接し、時に戦い、いろいろなフェリクス・パドルという人物に会った。その全てが、違う人のようにも思える。
「客観的に見るのはいいことだよ。
 だけどね、最後にその人を決めるのは」
 と、彼は少女の瞳を指差した。
「君の思い」
 その瞳が見るフェリクスが、マリソルが見るフェリクス・パドルという人物だ。
 彼女には少々難しいようで、ヘラルドの言葉に、わずかに首を傾げた。
「きっとわかるようになるよ」
 いま理解しないのを別段咎めずに、彼はそう言い、少女を馬車へと誘った。