第二章 09
「や~っと追いついたぜ」
そう口にしたのは、確か幌馬車の中を覗いた傭兵――カジョだ。あの時、乗合馬車を検問していた三人の傭兵と、もう一人。英雄を殺した植人(フランタ)の青年――ヴェルデだ。
「南東に向かうなら、見つかんねえのは変だと思ったんだ。
まあ、アンタを探したら、簡単にわかったけどよ」
と、イニゴという名前の傭兵が、ディノを顎で指し示す。しまったなあ、と彼は頭を掻いた。マリソルのド派手な容姿を隠すことに手一杯で、自分の変装を忘れていた。
「こいつでいいんだろ、ヴェルデ」
「ああ」
確かにこの植人の青年にはを見られていたという穴を、ディノは今さらながらに痛感した。
「マリソル」
一歩、少女に近づき、小さな声で耳打ちする。
「とにかく、逃げるのとかわすのだけ考えて」
それは、これからここが戦場になるということを表していた。四対二――しかも一人が逃げるだけでは、間違いなく不利だ。
「あたしだって――」
「いいから」
そうピシャリと言い切られてしまったが、マリソルは納得いかなかった。傭兵たち相手に、逃げる自信やかわす自信があるわけではない。今日の練習だって、数分ともたなかったのだ。だが、こうして村を出なくてはならなくなったのは、こうして植人と傭兵に出くわしてしまったのは、自分のせいではないのか。そう思うと、自分の手で挽回したくなったのだ。逃げるだけやかわすだけで、ディノに任せるのではなく、役に立ちたい。彼を助けられるくらいに。
少女はドクドクと鼓動する胸を落ち着かせるように深い呼吸をし、腰の短剣に手をかけた。
イニゴという傭兵が、自身の剣を抜きながらもう一人の傭兵に問う。
「ブラス、あのお嬢様は二人とも殺していいって言ったんだったな」
三人のうちの最後の一人――ブラスは、小さく頷いた。
「あ――」
肯定の言葉を出す瞬間だった。ディノが手にしたランタンを放ったかと思うと、そのブラスに向けて距離を詰めたのだ。走りながら抜刀し、そのまま振り上げる。
「うぉっ!?」
驚いた彼は、利き手に持っていたランタンをその場に落とし、自身の剣を抜こうとした。が、利き手が塞がっていたため、間に合わない。
そこにイニゴが割って入った。ガキンッと剣がかち合うが、ディノの勢いに押され、弾き返される。
ようやく剣を抜いたブラスは、イニゴを弾いたディノに向かっていった。勢いよく剣を振り下ろす。だが、それをかわすと、彼は反撃に出た。剣はブラスの肩を掠めた。
「おっさん、強かったんだあ……」
三人の傭兵を相手に大立ち回りをするディノに、短剣を構えながらマリソルは感心してしまう。
そこに鋭い刃が、躍り出た。
「きゃっ!」
反射的に短剣で弾き返すと、そこにいたのはヴェルデだった。刃と同じくらいに鋭い視線に、彼女自身も精一杯睨みあげる。
「死んでもらおうか」
挨拶でもするかのように、力も入れずにそう言うと、植人は二つの刃を少女に向け、振り下ろす。
振り下ろされた刃をかわし、別の太刀を弾き返し、マリソルの防戦一方だ。だが、それはディノに指示されたことだった。空腹も手足の疲れも忘れ、必死に二つの太刀をかわし、逃げる。この間、ディノに腕を斬りつけられた怪我がまだあるのか、右腕の短刀は左に比べて避けやすい。まだ、本調子じゃない。
――なんとかしなくちゃ。
そう思うと、次の太刀をかわした瞬間、マリソルは一歩、前へ出ていた。両手に持った短剣を突き出す。
だが、その短剣は右の太刀によって受け止められた。間髪を入れずに、左の太刀が、少女を襲う――
「何して――!?」
近くで傭兵と斬り合っていたディノが、いつの間にか割って入っていた。マリソルには、彼がどこにいたのかも、わからなかった。押し出されるように体が左に弾かれ、植人の青年の左の太刀は、ディノの右肩に入った。頭が、真っ白になる。
「おっさん!!」
彼の右肩から血が流れた。が、剣は取り落としていない。今までマリソルの短剣を受け止めていた植人の右の太刀を何とかかわし、ディノは傭兵と青年から距離を取った。
「……大丈夫っ」
声が引きつっている。傭兵生活が長いのだから、これくらいの怪我はあるだろうが、斬りつけられれば痛いものは痛いだろう。剣の柄を握り締めるのが必死なように見える。
マリソルも、じりじりと後退する。ディノがやっつけてくれなければ、彼女自身に傭兵たちや植人は倒せない。ならば、この闇夜の中、逃げるのか? 頼みの傭兵の男は、血を流しているのに……自分を庇ったせいで。手当だってしなければならない。
知らず、少女は短剣を握り締めていた。あたしがやらなきゃ、あたしのせいで、あたしに、――できるの?
そう思った途端、背筋にものすごい悪寒が走った。あまりに自分が無力であること、そのために味方が怪我をしたことを悟ったのだ。絶望が胸を占める。ダメだ。必死に否定する。どんどん、黒く塗りつぶされていく――ダメだ――
「大丈夫だからっ」
トンッとディノの右肘が、マリソルに当たった。血が流れている。肩が裂けているのだ。脂汗が浮かぶ顔は、鬼のように正面の敵を睨んでいた。
「何とかする……」
――無理だよ。その怪我で。あたしのせいで、そんなになっちゃったのに。
それなのに、彼は少女を守ろうとする。友人の娘である、彼女を。
マリソルは、絶望で塗り潰されていく心を、必死に奮い立たせた。ダメだ。ダメじゃない。ダメだ。ダメだ。ダメじゃない……ダメだ!
自分にあの傭兵たちが倒せないことは、植人の青年を倒せないことは、頭も体も心も、全てが知っていた。どうしよう、どうしよう、考えなきゃ――
ぎゅっと短剣の柄を握った。倒せないとわかっている。それでも、ここでディノを見捨てられないし、頼りっぱなしにもなれない。
きゅっと唇を噛む。これが彼の言う『戦場』なのだろうか。
その時だった、能天気な声が響いたのは。