第二章 05



 三人の傭兵たちの検問が終わり、しばらく馬車が走ってから、マリソルとディノは安堵の溜息を吐いた。まさか南東に向かう乗合馬車に、自分たちを探している人物が来るとは思っていなかったからだ。
「よかったね。探されてるのが、『ド派手な金髪で、ド派手な化粧で、娼婦みたいな服着た女』で」
 隣に腰かける少女に、ディノは小声で囁いた。
 ムッと彼女の顔が、不愉快そうにしかめられる。
 オーフォの街を出る時、マリソルは金髪を地毛の黒髪に戻し、ヒルベルタ・ファッションである奇抜な若者の服も、当たり障りのない旅人のそれにした。メイクも落とした。出てきたのは、十五という年相応の、素朴で純粋な素顔である。
「まさか、訛れるとは思ってなかったけど」
 ククク、と傭兵の男は喉の奥で笑う。先程も顔を伏せて、必死に笑うのを我慢していたのだ。
「あぁ。あれは『領主と農奴』のマネ」
 喋り方は、金髪の頃と変わらない。そこは、意識させてもなかなか直らなかった。
 『領主と農奴』は理不尽な年貢に喘ぐ農民の演劇だ。暇つぶしにアニタやリノと観たのだが、難しくて途中で寝てしまった。まさかここで役に立つと思っていなかった、とマリソル自身、驚いている。
「観劇、おそるべし」
 どうやら彼女は繁華街を歩いたり観劇に行ったりして友達と遊んでいたようだが、そうした大衆芸能の力のすごさを、ディノは改めて感じた。
「しかし、今のは、あの植人(フランタ)の仲間か?
 普通の人間(ネイミ)だったが……」
 彼が馬車の上から確認しただけでも、傭兵は人間だった。このメーティス王国において、植人は皆、奴隷身分だ。自由身分の例は聞いた試しがない。と、すると……。
「あの植人や、さっきの傭兵の裏に、誰かいるのかねえ」
 植人の奴隷も、人間の傭兵も、どちらも動かせる立場の人物が、まだ後ろにいるということか。
「……でも、あの……パパを殺した植人は、これを狙ってた」
 マリソルが、ボレロの裾から覗く首飾りを、ぎゅっと握りしめた。
 あれからディノは、彼女に事の成り行きを聞いた。娼館の男に騙されたことや、植人の男が父を殺した者だったこと、彼がマリソルの首飾りを自分のものだと奪いに来たこと。
 ディノは、確かに憶えている。フェリクスが植人の子どもの首飾りを、綺麗だと取っていったこと、そしてそれを土産として娘に渡したこと。勝者が敗者のものを奪う権利があることを、今さら疑問に感じることはない。ただ、その首飾りが、何か特別な意味合いのものだということもないだろう、と彼は踏んでいる。そうでなければ、十年も奪いに来なかった理由がわからない。
 だが何故、植人の奴隷が、自分の首飾りだと、それを奪い返しに来るのか?
 何故、あの戦争から十年も経って、フェリクスの元へ来たのか? そして殺したのか?
 殺したのは、フェリクスの軍役引退宣言と関係があるのか?
 ――首飾りについてはともかく、国の英雄を殺したのは、植人や傭兵の後ろにいる人物の思惑が関係しているだろう。
 だが、それが誰であるか、わからない。貴族? ギルドの商人や職人? 大地神信仰の司祭たち? 植人? 獣人? まさか、国王?
 手掛かりは、彼が持っていた深緑の宝玉。だとすると、武器商人や『半端モノ(レタツォ)』か。いや、彼らと手を結べば貴族や国王でも……。
 ディノは深呼吸をした。吐く息を、深く、長く。
 とにかく、この英雄の娘の首飾りが狙われていることには、変わりがない。おそらく命だって危ない。
 彼はちらりと、隣の少女を覗き見た。あの出来事から、必要以上に口数を交わしていない。
 ディノはあの時、彼女に選択肢を与えたようにみせたことを、ずっと後悔していた。
『もっと別の人を探してもいい』
 探せるはずがなかったのに、そんなことを言ってみせた。故郷から離れたことのない十五の娘には、無理だとわかっていて選択させた。正直、彼は、マリソルがこれで服装や言動を改めてくれればいいと、いい気味ではないかと思っていた。危機感の欠如を自覚させられたらと、そう思った。爽快感が全くなかったと言ったら、嘘になる。
 フェリクスについても、余計なことを言ってしまった。彼女は今までずっと、父に対する怒りで、悲しみや寂しさ、怖さを抑えているように見えた。それなのに、彼女が父の死と向き合う機会を、更に逸してしまったように思えたのだ。
 化粧を落としたマリソルは、十五歳の、頼りなく、あどけなく、幼い少女なのだ。大人げない馬鹿なことをしてしまった、とディノは深呼吸から、今度は溜息を深く静かに吐いた。
「…………ねえ、おっさん」
 街道を走る馬の蹄や、馬車の車輪の音に消えてしまうくらい小さな声で、少女が呟く。
「何?」
「なんか……ヘンな感じ。ねえ、あたし、ヘンじゃない?」
 隣へ振り向くと、バッとマリソルの不安げな顔が、目の前にくる。ちっとも変じゃない、とディノは思うが、外見を急激に変えた彼女は不安でたまらないのだろう。
「変じゃないよ。
 誰もマリちゃんが変だって、見てないだろう?」
 諭すように囁くと、乗合馬車の中を見渡してみせた。同じように座っている農民と思われる女性たちも、旅人と思われる男性も、誰も少女を注視していない。
 その様子に、マリソルは小さく頷く。
「その恰好も、そのうち慣れるよ」
 大丈夫だって、とディノは彼女の肩を叩いた。
 マリソルは、今までと違う外見に慣れないでいた。変じゃない、と言われても、どこかで変だと感じてしまう。だが、今までみたいに、不快な視線を向けられることはない。
『そんな恰好で[釣ってた]んじゃないの?』
 娼婦のように見られてたんだ、と感じた、あの言葉を思い出す。今は、そんな風に見られていないことは、自分でもよくわかる。
「そとみって大事なんだね」
 ふと呟いた少女の言葉に、隣の男はわずかに目を見開いた。口元に小さな笑みが零れる。
「そうだね」
 こちらがいくら諌めてもわからなかったことが、あの出来事を経てわかったようだ。教え子がようやく理解した教師と同じ心境を、ディノは味わった。
「ところでさ、おっさん」
「んー?」
 機嫌が良くなり『おっさん』にも返事をしてしまった彼は、次のマリソルの言葉に驚くことになる。
「あたしのお祖父ちゃんって、どんな人?」
「……は?」
 まさかの質問に、そんな間の抜けた声が出てしまう。
「会ったことないから」
 彼女の言葉に、男は眉間を揉み解した。
 平民の中でも下層階級の出であるディノは、祖父や祖母を知らない。孫である自分が生まれるまで、生きていなかったのだ。しかし、貴族は貧民より長生きだし、互いの屋敷を行き来していても不思議はない。不思議はないが、一般の貴族と違うのがフェリクス・パドルの家である。どうやらフェリクスは、マリソルを自分の父に会わせたことがないらしい。疎遠だったという話は聞かないが、仲が良いという話も聞いていなかった、と傭兵の男は昔を懐かしんだ。
「君んちは、まあ、変わってたみたいだしね……」
 いろいろと、と付け足し、彼は自身の知っているマリソルの祖父の情報を、頭から引き出した。
「セフェリノ・パドル伯爵は、フェリクスの、君の父親のお父さんだよ。
 ウンガスとの戦争に賛成の貴族でね、フェリクスの引退宣言をどう捉えたかはわからないけど、血の繋がった孫娘を見捨てることはないだろう、ってのが俺の考え」
 周りを警戒して、小声でそう伝える。彼女は真剣に聞き入っていた。
「で、そのお祖父さんがガルガンタって街にいる。それを目指してる。けど……」
 ディノはふと、周囲に神経を行き届かせた。怪しい気配はしないし、後ろから別の馬車や人物がつけている気配もない。
「どうやら、犯人の方には、そっちに行くってことがバレてるっぽいな」
 植人の青年――ヴェルデ――には遭わなかったが、同じ意図で動いている傭兵たちは街道で待ち伏せてマリソルを探していた。ガルガンタに到着するまでに、このまま行けば再び待ち伏せに遭遇する危険性がある。
 ディノは、オーフォの街でセフェリノ伯に出した手紙のことを気にしていた。途中で敵方に読まれたのか? ありえない話ではないが、可能性は低い。では、何故?
「次の休憩所には、確か別の村に行く馬車も寄るはずだ。ちょっとルートを替えよう」
 街道の途中途中には、旅人や馬車が休める休憩所が設けられている。大抵の場合は無人で、井戸があり、水が飲める。大きな街道だと、近くの村の者が雑貨を販売にくることもある。多くの都市や街、村を結んでいる街道の休憩所には、別の場所へ行く人々や馬車も寄ることが多いのだ。そこで別の乗合馬車に替えると、ディノは言う。
 マリソルは無言で頷き、自分の祖父だという人物について、思いを馳せた。今まで会ったことのない、親族。父の父である人。……自分を保護してくれるかどうか。否応なく、期待と不安は高まった。