第二章 01
――どうして、こうなっちゃったんだろう?
マリソルの混乱した頭の中に、そんな疑問がぼんやりと浮かぶ。この、死んで倒れ伏している娼館の男たちについていった自分のせいだと、そう目の前にいるディノは言うだろうか。この服装を替えずにアルバイトを探して、自分の働きたい熱意を逆手に取った男たちに騙されて、でもその危険性さえ見ることができなかった、自分に。
違う! そんなんじゃない!
ぎゅっと手にした首飾りを握り締める。
そう、そもそもあの植人(フランタ)の男が、この首飾りを奪いに来たのだ。父が、唯一くれた首飾り。短い十五年の生涯の中で、唯一くれた、もの。あの植人の男は、これは自分のものだと言った。フェリクス・パドル――マリソルの父が、自分から奪っていったものだと。
この首飾りを奪い返すために、彼は娼館の男たちを殺した。
生き残っていた重傷の男も、連れの傭兵であるディノが殺した。
そう、殺した。父も、きっと戦争に行った時に、たくさんの人を殺した。そして、あの彼から、この首飾りを奪った。殺す、奪う、父はそんなことをしてきたのか?
少女の双眸は、ただぼんやりと惨状を見つめていた。ショックが大きすぎたのだろう。連れの男が、目の前で人を殺す光景も含めて。
彼は、彼女に聞こえないほどの小さな溜息を吐いた。
「人を殺したお兄さんに、これからもついてこなきゃいけないの、イヤ?」
呆然とした視線が、ディノに向けられる。
「これからマリちゃんを守るためには、また同じようなことをしなきゃならないかもしれない。それがイヤだったら、俺を頼らなくて、もっと別の人を探してくれてもいい」
自分に向けられた言葉が、耳に入ってこない。まるで別の誰かと話しているように、彼の言葉は現実感を伴わなかった。
――父は、殺されて当然の人間だったのだろうか。
そう、マリソルは頭の片隅に思い浮かべた。殺して、奪って、戦争でたくさんのそんなことをしてきて、突然の引退宣言を自分勝手に出して、そんな人間は、殺されても仕方ないのだろうか。そう、自分勝手に見えてしまう、あの父は。
母が病床に伏せている時も、父は軍の仕事をしていた。概ね晩餐会に顔を出したり、議会で演説したり。母には優しく振る舞っていたが、だからといって看病に積極的ではなかった。仕事が忙しかった、と彼は言うだろう。事実、父の立場はそうだったのだし。母の看病は、手伝いのマリナと自分の役割だった。
病気で憔悴しきった母と向き合うのは、はっきり言って苦痛だった。病気であるなしに関わらず、母と向き合うのは重荷とも言えた。父が不在の時に見せる、母の弱さ。戦争の時も、戦争が終わった後も、それは娘に向けられた。幼い少女には、母の脆い部分を支えてあげることは、とてつもない重労働だった。だから、病床の母から逃げるように、繁華街にくりだす時もあった。外に飛び出して、家の中の閉塞感から抜け出したかった。
――あれ、違う、あたしのせいじゃないってば!
否定する感情と、肯定する感情が交差する。
過去から現在へ、意識が戻ってきた。
この状況は、あたしのせいなの?
この状況は、あいつのせいなの?
「……わかんない」
ぽつり、小さな滴が唇から零れる。細い眉が苛立たしげに歪んだ。
「わかんないよ、全部! おっさんのことも、今のことも、ぜんぶぜんぶ!」
不思議と涙は出ずに、マリソルは荒く掠れた声で叫んだ。ド派手な金髪を振り乱し、頭を振る。
ディノは血を拭い終わった剣を、鞘にしまった。
「マリちゃん、わからないなら、何がわからないのか、言葉にして」
静かに、なるべく刺激しないように、彼は囁いた。
「……わかんないよ」
しばらく経って呟かれたのは、先程と同じ言葉。ショールを羽織った肩が、小さく震えている。どんなに派手な衣装を着ても、どんなに英雄の娘であっても、この少女はまだ十五なのだ。
すっくとマリソルが立ちあがった。
「鬱蒼たる森 仄暗く
東どちらか それすらも
わからぬほどに 疲弊せす
照らす光が 欲しくとも
導く糸が 欲しくとも
故郷は遠く ここから見えず」
身振り手振りを交えた一人芝居のような詩の音読の最後は、尻すぼみになって消えた。いくら腹から声を出しても、胸のイガイガは取れなかった。暗く、重い、尖ったものが、胸にズシリと突き刺さる。
「とにかく移動しようか、ここは目立つ」
死体が五つ、しかも血が飛び散っている。刃傷沙汰だが、いちいち説明していては面倒だし、半数以上を殺した犯人がすでに逃走済みだ。
ヘラルドもまだ不在中。これで匿えとは言えないだろう。フェリクスを殺した犯人に顔も見られているし、この街から移動する必要がある。
「服とか髪とか替えるよ。もうあんな目、遭うのイヤでしょ?」
「……うん」
やけに素直に頷く少女に、ディノは手を差し伸べた。
「行く?」
これは、選択肢だ。別の安全な人間を探そうと思えば、それだってできる。
だが、この少女はまだ十五歳だ。故郷のボカの街からほとんど出たことのない、英雄の娘。
マリソルは、小さく首を縦に振り、手を取った。
「どこに行くの?」
当然の疑問が、少女から連れの男へと投げかけられる。
彼は空を見上げた。路地の中にある広場でさえ、空は大きく広く見える。
「ガルガンタ。セフェリノ・パドル伯爵――君のお祖父ちゃんがいる街だよ」