第一章 11
「はい、そこまでね」
長身の男の太刀を持つ手が動く寸前、彼の後ろから聞き覚えのある声がした。
冴えているのか冴えていないのか、よくわからない声。でも今は、真剣みを帯びて低くなった声。
「――おっさん」
死を覚悟して、彼のことなど意識していなかった。助けてくれるなんて、思っていなかったのだ。だって、彼の言うことなんて、一つとして聞いてこなかった。服だって買ってないし、危険なことから逃げることすらできなくて――
ディノは自身の剣を、長身の男の背中に突き付けていた。
「悪いけど、その子を放してもらおうか」
マリソルの頬のすぐそばには、男の右手の短刀がある。もう一つは、だらりと垂らした左手が握っていた。そして彼の背中には、傭兵の男の剣。
長身の男の右手の短刀が、垂直に落ちていった。マリソルもディノも一瞬、そちらに気を取られる。
その隙に、男の左手の短刀が少女の首元を狙った。
「ダメっ!!」
避けようとした少女の首元で、首飾りの紐がプツリと切れ、ペンダントトップが宙に浮く。マリソルはそれに向けて必死に手を伸ばしていた。交錯した短刀に右手の甲を斬りつけられる。
一方、落ちた右手の短刀は空中で持ちかえられ、半身を翻して背後のディノの剣を弾こうとする。ディノも弾かれまいと短刀を押し返し、両手の力で短刀を弾き飛ばした。男は動きの流れのまま彼の剣を左手の短刀で受けようとするが、その前に傭兵の剣は男の右手の包帯と袖口を斬りつけていた。
水分のように透明な液体と、血が噴き出す。
「……え?」
瞬時に距離を取った男の腕には、血と透明な液体が流れている。スルスルと解けた包帯、そして裂けた袖口からは、緑色の刺青のような紋様が覗いた。
「植人(フランタ)?」
ディノの怪訝そうな声に、男の緑の目がギロリと睨んだ。
マリソルも、おそらくディノも不思議でならなかった。先程、街の中で見た植人とは、明らかに瞳に宿す光が違うのだ。まるで人間と同じ、変わらない瞳をしている。
フードが脱げ落ち、金色の髪が零れる。マントから覗いた彼の服は植人がよく着る、ゆったりとした前合わせの服だった。しかし、その睨む瞳に宿る光は、茫洋とはせず鋭利で凶暴だ。
彼はその懐から、深緑の宝玉を取り出し、口の中で何かを唱えた。
マリソルの顔面が蒼白になる。
宝玉が強い光を放った。
――殺される!
少女がそう思った瞬間、彼女と連れの男とはかけ離れた場所に光の陣ができた。誰もいない場所に光の帯と白い煙が噴き出す。
「ちっ、やはりうまくいかないか」
二人がそちらに気を取られている間に、男は通りから駆け去って行った。
「おい、待――」
傭兵の男は追いかけようとしたが、周囲に残る独特の匂いに頭痛がし、うまく走れない。曲がり角まで走ってみたが、うまく追えずに引き返してきた。
マリソルは、ようやく右手と左頬の痛みに気が回った。手の中に残った首飾りを眺める。
『フェリクス・パドルが奪っていったものだ!』
その一言が、頭痛よりも激しく頭に響いた。
「……いてぇ…………イテェよ……かあちゃん」
ふと気が付くと、そこには五人の男が倒れていた。三人は、正体不明の『魔法』で倒れたまま死んでいる者、一人は植人の男に斬られて死んだ者、もう一人はマリソルが斬った者だったが、彼はまだ生きていた。大量の血を流しながら、涙声で呻いている。
あたしが斬った奴……。
少女が恐怖で震えていると、ザンッとディノの剣が呻いていた彼の首を一閃した。ヒッとマリソルの喉から、引きつった悲鳴が飛び出る。
幸い、マリソルの位置から離れた首と胴体の切断面は見えなかったが、まだ生きている者が、その場で死んだことが恐ろしくて仕方なかった。そして、彼を殺したディノの真意がわからなかった。
「…………どうして」
自分が生命に関わる傷を負わせたにもかかわらず、こう言うのは変かもしれない。確かに彼らには騙されたし、こちらも斬りつけてしまった。だが、命は命だ。生きていれば、医者に見せれば助かったかもしれない。
「娼婦で商売してるような奴ら、お兄さんは許せないんだよね」
暗い傭兵の目が、斬った男の顔を見下ろしていた。今までとは違う声音に、少女も心臓を震わせる。
「でも……だからって……殺すこと……」
どうして、死んで、どうして、生きて、どうして、どうして、あたし、違う、あいつらの、あいつらの、せい……?
――誰の、せい?
彼女の頭は混乱していた。何が悪くて、この状況になってしまったのか。それを考えていると、先程の匂いが連れてきた頭痛とともに吐き気がする。
剣の血を拭いたディノは、静かな目でマリソルを見た。責めることも、庇うこともしない、ただ静かな目だった。
「傭兵生活じゃ、さして珍しいことじゃないよ。
戦争だってね」
そう言って、転がった五つの死体を見渡す。
「フェリクスだって、やってた」
父親の名前に、マリソルは右手の首飾りを握り締めた。奪ったもの、『やってた』――殺し、を。
「それに、マリちゃんの言う、奴らを『ぎゃふん』と言わせたいって、こういうことなんじゃないの?」
オーフォの街に来る時に、言った言葉。
『ガッとしてバキッとしてグリッとしなきゃ気が済まないっつの!!』
そうだ、それって、ボッコボコにするってことだった、と彼女の冷静な頭が言う。だがこんな、悲惨な殺人現場など考えてすらいなかった。
『…………えーと、ぎゃふん? ぎゃふんと言わせる!』
あの時の言葉は、一体どう説明すればいいのだろう。確かに『ぎゃふん』と言わせたいのに、それはこれではない。これではないのに、どれだかわからない。
マリソルは、口を開けたり閉じたりした。
しかし、彼に説明できる言葉は、そこから出てこなかった。