第一章 05



 他に頼れる者がいない、とはマリソルには言えない。しかし、ディノの落胆ぶりを見て、少女は薄々理解した。今まで持っていたヘラルドに対する希望と、その喪失の大きさを。もう、ここまでの信頼を寄せる者がいないのだろう、と少女は感づいていたのだ。
「じゃあさ、帰ってくるの待ってみるってどうよ?」
 先程までの不機嫌さが消え、出てきたのはあっけらかんとした提案だった。その派手な容姿で同じ場所に滞在すると言うのか。いくらヘラルドがオーフォの有力者であっても、不在で後ろ盾がないことに変わりはないのだ。もし見つかりでもしたら――いや、間違いなく見つかるだろう。この目立つ容貌では。
「その恰好じゃ見つかるんじゃないの?」
「じゃあじゃあ、偽名つかってさ。マリリンっす!とか言やぁさ、案外わかんねんじゃね?」
「無理だと思うけど……」
 安易な考えのマリソルに、やはり溜息が出てくる。しかし、他に誰を頼ればいいのか、ディノがわからないでいるのも確かだ。少しの間、次にどうすればいいのか考え、行動に移す時間が欲しい。
「まあ、次の手を考えないとならないけど……」
 そう言いながら彼は、自身の懐に視線を移す。裏側のポケットに財布が入っているのだ。駄賃は腰につけた小物入れに入っていたが、重要な路銀はこちらだった。
 宿代がまずかかる。マリソルの素性の関係もあるし、信用ならない安宿にはしない方がいいだろう。旅の間、保存食で済ませていた食事代もかさむだろう。その前に、この少女の服を買い、髪の色を元に戻させるのが先だろうか。路銀が底をついているわけではなかったが、いつ戻ってくるとも知らぬ友人を待つには心許ない金額だった。
 そのディノの視線に気付いて、マリソルがまた軽い発言をした。
「バイトしながら待ちゃいいじゃん。あたし、ウェイトレスとかやってみたかったんだよねぇ! 『いらっしゃいませ~♪』なんて!」
 その外見じゃ雇ってもらえないだろう、彼女が嬉しそうに客案内のマネ事をするのを、彼は心中でそう呟きながら見る。
「もしかしたら、すぐに帰ってくるかもしれないじゃん! ダイジョブだって、おっさん!」
 オーフォまでの道中が嘘のように明るいマリソルに、ディノは不思議そうに瞬きをした。あんなに不平不満を垂れ流していた少女が、こちらが参った途端にこれだ。あまりの変わりように驚いてしまう。
「マリちゃん、愚痴んないね」
「は?」
「いや、ここまで来るのに、相当ぐちぐちぐちぐち……」
 またヒールの蹴りが来るだろうか、と予想していたディノだったが、彼女はそうせず、ただ長い金髪をワシワシと掻いて首を傾げただけだった。
「本当にどうしようもないこと愚痴っても、意味ないから」
 要するに、アテにしていたヘラルドが居らず、他に誰の所へ行こうかと決めかねている今の状況が、打つ手のない状態だとわかっているのだ。八方ふさがりになった時ほど、ひとは誰か――他人や神や、それこそ誰でもないもの――に当たりたいものではなかろうか。しかし彼女はそれが、意味がないと言う。
「じゃあ、どうしてオーフォまでの道であんなに不機嫌だったんだよ」
「だって、ヘラルドさんが助けてくれるかもだったじゃん? どうしようもなくねえもん」
 何とかなるのなら、愚痴りながらもそこに向けて進む、ということのようだ。希望も可能性も全くないなら、少しでもそれを見つけようとして、不平不満を言っている場合ではないのだ。おそらく、そういうことだろう。
 ディノは空を仰いだ。平地にあるオーフォの街は、青空が広く見える。そう、不貞腐れてなどいられないのだ。この少女の、友人であるフェリクスの娘の安全のため、待つ以外の方法を考えなくては――
 頭の中にある、全ての貴族の名前を挙げてみる。貴族じゃなくてもいい、地方で自分を雇ってくれた商人、旅の途中に会った識者、果てには酒場の女将まで。信用できる者はいる。しかし身分や取り巻く環境も加味すると、その選択肢は途端に消滅する。人の絆の脆さは、この十年の傭兵生活でよく知っていた。
「おっさんはバイトどうする? あたしはやっぱりウェイトレス? できればテラスのあるレストランの。フリルつきのエプロンとかいいなあ♪」
 彼女の中では、すでに話は決まっているようだ。胸の前で両手を組んで、自分の給仕姿を想像している。その化粧と髪のままフリルつきのエプロンなどしたら、『そういうお店』の娼婦に間違われかねない。
 ディノは腰の小物入れに手をつっこみ、布の財布から王国紙幣を取り出した。数枚かぞえて、それをマリソルに渡す。
「アルバイトの前に、その恰好。好きなのでいいから、買ってきなさい。
 なるべく地味なのっ!!」
 指差しとともに釘を刺すと、彼はふと街の中心地の方を見た。ヘラルドの屋敷がある小高い丘からだと、どこにどんな施設が集まっているか、よくわかる。
「マリちゃん、俺はこれから野暮用を済ませてくる。ちょっとだけ別行動をしよう」
「あたしひとりでバイト探すのぉ?」
「その前に、服買いなさい、服」
 再度、ディノの注意が飛ぶ。しかしすぐにその目くじらは消え、心配そうな顔になった。
「もし危険なことがあったら、まず逃げること。ここにとにかく、匿ってもらう。英雄の娘が『殺されそうだ!』と言やぁ、使用人たちも入れざるを得ないだろう」
 と、こんもりと森のようになったヘラルド邸を振り返った。確かに変わった友人だし、使用人たちもひと癖あるようだが、人情に篤い人物である。もし仮にマリソルが押し入ったとしても、事情がわかれば笑って許してくれそうだ。このまま押し入っちゃダメかなあ、と男は友人の屋敷を見た。危機感よりも先に、良心が痛む。
「危険がなくても、待ち合わせはヘラルドの屋敷の前にしよう。街の有力者の家の前で物騒沙汰をしたい奴はいないだろうし」
「だ~いじょぶだって! 今までキケンなんてなかったじゃん!」
 先程から明るいのはいいが、今のは緊張感がない。危険がなかったのは、ディノが辺りを警戒していたからだ。二人でいるのと、一人でいるのとでは、伴う危険の可能性が大幅に違う。
「それにほら、いざとなったら、ゴシン用?の短剣もあるし」
 そう言ってマリソルは後ろを向き、短パン(ショーパン)のベルトに差してある短剣を示した。十代のくびれた腰と若々しい尻のラインが、ディノにはオイシイどころか眩しすぎて毒だ。
 あまり、その短剣のお世話にはなってほしくないものだ。護身用にと渡したが、彼女自身ほとんど扱えないのだ。小さい頃に父に剣術のいろはを習ったらしいが、試しに使わせてみると、その基礎はてんで抜けていた。持ってないよりはいいだろうと、渡してはいるが。
「使わないことを祈るけどね。
 いい? 絶対に危険だと思うことはしちゃダメだよ」
 少し怖い顔で念を押すと、少女はふと真摯な瞳で頷いた。街道でも見せた、狼のように静かな色の眼。それを見て、ディノは少し安心する。
「じゃあ、またここで」
「じゃあねぇ~っ!」
 男が快活に別れをすると、溢れんばかりの陽気な声でマリソルは応えた。
 ディノの進んでいく後ろ姿を見て、彼女もオーフォの街を見渡してみる。服屋がある繁華街は、中心部の行政施設や公共施設のある場所からは少し離れた、小さな広場に面した通りのようだった。ディノとは別の通りから行った方が近そうだ。
 オーフォの街を歩きながら、マリソルは思う。故郷であるボカの街以外、独りで行動するのは初めてだ。小さい頃は両親に連れられて、知らない場所へ行ったことはある――そう、大きな屋敷だった気がする。よくわからないまま、見知らぬ子どもと遊ばされ、よくわからないまま、家路についたものだ。だから彼女の中にある世界は、今までボカが全てだった。ボカならいろんな場所で遊んでいる、主に繁華街だけど。アニタやリノと観劇に行ったり、大衆食堂で、大人数で踊ったり。今頃、ボカはどうなっているだろう、アニタやリノはどうしているだろう。リノに彼女ができてたらヤだ!
 繁華街に向けて通りを歩きながら、マリソルは自分が奇異の目に晒されていることに気付いていた。ボカでだって、そうだった。この金髪や化粧や服装は、いくら流行を作ったといえど、大人から見れば相容れないものなのだ。その流行だって、賤しい身分のようだと批判を食らい、短い間に廃れてしまった。
 父は、この外見を褒めた。
 地毛の黒髪を鮮やかな金色に染めてきた時、彼は草食動物のような目で、それを見ていた。娘にとってこの父は、国の英雄なんかじゃない。まるで小鹿ちゃんだ、とマリソルはいつも思う。
「太陽(ソル)みたいだね」
 怒るものだと勝手に思っていたから、少女は呆気にとられてしまった。その言葉が、名前のマリ『ソル』にかけたものであるとわかって、呆れはすぐに喜びへと変化した。だけど、胸の奥にしこりは残った。
 『ヒルベルタ』のような大胆な恰好をした時も、同じようなことを言った。「ボカは暑いからちょうどいいんじゃないか?」とか、何とか。胸のしこりは、どんどん大きくなった。
 本心で褒められているとは、思っていない。この恰好をしていて言うのもなんだが、大人は理解に苦しむと経験上わかっている。褒められたいとか、怒られたいとか、そういう問題ではなかったのだ。父にそうして見せたのは。
 だけど、マリソルはこの恰好をするしかなかった。他のファッションなんて、わからなかったからだ。一体、自分に何が似合うのか。周りはどんな恰好を褒めてくれるのか。この一つの『鎧』を剥がす勇気も、別の『鎧』を試す勇気も、マリソルにはなかった。
 蔑むような目、睨むような目、訝しむ目、それらを受け止め、少女は疲れた。頭が疲れると、歩く足も疲れてしまう。
 通りの真ん中でピタリと止まり、彼女は空を見た。広い空。燦々と輝くメーティスの太陽。そんな明るさ、どこかに抜けてしまった。
「………………めんどくさぁ」
 紙幣を渡され服を買えと言われても、その買う服がわからない。一体、何を買えばあのおっさんは納得するのか。通りを歩く女性の服を観察しても、いまいちピンとこない。自分が良いと思う服じゃないと着たくない。でも、良いと思う服がわからない。
 今のままでいいんじゃないか、とマリソルは考える。確かに周囲には賛同されない服装だが、自分は気に入って着ている服だ。スラムの少女がやがて革命の中心人物へと変貌していく物語『ヒルベルタ』の主人公・ヒルベルタは、可愛くて魅力的で、とても強い女性だった。そうなりたいと、少女も思う。
「服いいから、バイトさがそっかなあ……」
 服を買ってからアルバイトを探しても、アルバイトを探してから服を買っても、どちらでもいいではないか。通りを見渡すと、繁華街に近づいてきたのか、飲食店をよく目にする。その中から自分好みの店に、ウェイトレスはできないかと訊いてみよう。
 確かに恰好はこうだが、大丈夫だ。働きたいという心を見せれば、きっとわかってくれるだろう。マリソルはそう、信じていた。