第一章 04
おそらくそれが、ヘラルドという人物の屋敷なのだろう。が、屋敷かどうか、わからない。その小さな丘一面が、まるで森のように草木で覆われていたからだ。頑丈で背の高い柵も囲っているが、それがちらほらとしか見えないほど、緑であふれかえっている。
「あれがヘラルドの屋敷」
ディノの説明で、マリソルはようやく、そうであると納得した。
「ブロッコリーみてぇー」
「っはは! 確かに」
連れの率直な感想に、男は豪快に笑う。見た目は、こんもりとした小さな森なのだ。
中心地の喧騒から離れた場所だが、郊外というほど外れでもない。貴族の屋敷なのに、その大きな扉には重厚感の欠片もない。よく手入れされているが、はっきり言ってボロッちい門扉だ。しかし、草花や木で覆われたこの屋敷の雰囲気には、とてもよく合っていた。
その門扉に取り付けられた、小さな赤い石にディノが手を置く。すると、その赤い石が淡く発光した。
『半端もの(レタツォ)』たちは、人間が持っていない素材を数多く持っている。単純に発掘・採取できる土地や、取りに行ける身体能力が違うのだ。その素材は貿易され、人間の生活にも役立っていた。これも、その一つだ。門扉の赤い石が光ると、屋敷内の別の石が光って来客を知らせる。石は壁に嵌められいることも、使用人が持っていることもある。
「はい、…………どちら様、ですか?」
古い門扉を開けて出てきた若い女中は、二人の姿を見て無愛想に訊ねた。かたやド派手な若者ファッションの少女、かたやアンバランスな印象の男である。
「私は、ディノ・ロルカという傭兵です。こちらのお嬢さんはマリソル・パドル様」
少女の名前を聞き、女中は怪訝そうに彼女を見る。マリソルもきついアイメイクで、使用人を睨み返した。
「ヘラルド・カルバハル様には、ルクシルヴァ戦役の時に大変お世話になりました。
今回、フェリクス・パドル様の件で、ヘラルド様にお願いしたいことがあって参りました。突然の訪問で誠に申し訳ありませんが、お会いすることはできませんか?」
「できません」
先程までと打って変わって丁寧で明朗な言葉遣いになったディノに、屋敷のメイドは間髪いれずに返答した。ニコリともせず、口は横一文字。
「……できませんか?」
やはり服装や身分の問題なのだろうか、と落ち込みはするものの、男はもう一度同じ質問をしてみる。フェリクスの件なのだから、そう無碍に断らなくてもいいものを。
それに、ディノはここで引き下がれなかった。ヘラルドにマリソルの保護を頼めないとなると、他に行くアテがない。少なくとも、ディノ自身と面識があり、完全に信頼できる貴族の人物を、他に知らない。
「できません。
ヘラルド様は、恋人の方と周遊で、いま屋敷にはご不在です」
よりによって恋人と旅行かよ!と、二人の顔が険しく引きつる。
「いつ戻んすかあ?」
ヘラルドとこの屋敷に良い印象を持たなかったマリソルは、気だるげにそう訊いた。賤しい者を見るように、下働きの女性が彼女を一瞥する。
「ヘラルド様はいつも、ご自分の予定を仰いませんから。周遊もどこへ向かわれるのか、いつお帰りになるのか。それら全てを、この屋敷の者は誰も知りません」
「っつかさ」
少女が苛立たしげな声を上げる。ディノには、その原因がメイドの能面のような顔と事務的な声であることはわかった。彼自身も、そうだからだ。いくら友人の屋敷の女中といえど。
「主人のことなんも知んないの、召使いとしてどーよ?」
メイドである女性の無表情が、冷気を帯びるのをディノは感じた。マリソルも細い眉がつり上がり、彼女を睨んだままだ。悪い、空気が非常に悪い。女中に対して良い感情を持っていなかった彼も、この冷え切った雰囲気には耐えきれなかった。
「まあ、ヘラルド様は、変わった方ですからね」
「アンタ、ちゃんと仕事できてんの? ねぇモガッ――」
フォローの言葉を入れた瞬間、隣の少女から罵声が飛ぶ。堪らずにディノは、彼女の口を勢いよく手で塞いだ。両頬が潰れた鈍い痛みと瞬間的な怒りに、マリソルは隣の男の脛を高いヒールで蹴飛ばす。ディノはその激痛に耐え、引きつった笑みでメイドに向かった。
「ヘラルド様がお戻りになったら、私たちが訪ねてきたことをお伝えしていただけますか?」
まるで漫才をしているような二人に、召使いの女性は「ええ……」と不審そうな顔のまま頷いた。ここで頷かなければ、また何かこの少女はしでかしそうだ、と思っただろう。
「それでは、お邪魔しました」
マリソルの背を全力で押して、ディノはヘラルドの屋敷の前から立ち去った。最後まで訝しげな表情のまま、女中は古い門扉を閉める。彼女の目がなくなってから、男は連れの少女の口を解放した。
「なにすんだよ、オッサンっ!!」
憤怒の形相で、マリソルが踵の凶器を彼の足に打ちつける。痛みからディノも避けるが、それが余計に彼女の怒りを買った。しかし、少女の蹴りなど傭兵の男にとってかわすのは簡単なことで、彼女のフラストレーションは溜まる一方だ。しまいには、その高いヒールでダンッと大地を踏むと、
「もうっ! もうもうも~う!」
駄々をこねる子どものように、喚き散らした。マリソルの攻撃の終わりだ。周りからは痴話喧嘩や兄妹喧嘩にでも見られていたかもしれない。通りすがりから奇異な目を向けられ、ディノは居心地悪く咳払いをした。
「マリちゃん家も変わってるけど、ヘラルドも相当ヘンなんだよ。
侯爵家の人間だってのに、お供の一人もつけないで恋人と旅行だよ?」
貴族が旅行に行くとなると、周りに召使いを何人もつれて、大名行列のようになっていくのが普通だ。どんなにプライベートでも、恋人と二人で、行き先も帰宅の予定も告げずに出ることなど、あるはずがないのだ。
「って、カルバハル家って侯爵家なの!?」
「驚くとこ、そこかあ……。カルバハル家は侯爵家だよ。あそこはヘラルドの屋敷で、本邸じゃないけどね。…………君、本当に貴族? フェリクスだって一応、子爵でしょ?」
ディノは、奇抜な若者衣装に身を包んだマリソルを、改めて見た。とてもじゃないが貴族のご息女には見えない。淑やかさのかけらもない、むしろ水商売の女と同じ下品なケバさが目立つ。世間知らずという面では、確かにお嬢様と言えるかもしれないが。それにしたって……。
男は溜息を吐いた。少女の外見についてではない。頼りにしていたヘラルドが不在だったからだ。
「――さて、どうするかな」