第一章 02
内海に面するボカの街と、そこから北西にあるオーフォの街を結ぶ街道は、多くの人や馬車が行き交う。港で引き上げられた魚、船で送られてきた貿易の品、それらは街道を馬車で移動し、首都や各都市へ届けられていた。
「つかれた」
多くの人が歩き、多くの馬車が走る街道で、マリソルはしゃがみ込んだ。後方を歩いていた商人が、それを避けるように追い抜いていく。
前に立つ男が、少女に振り返った。齢は三十手前と言ったところか。旅人の恰好をし、腰に剣を差している。灰色の瞳は精悍な光を宿しているのに、髪と同じ茶色の下がり眉は冴えない印象を与える、どこかアンバランスな男だった。
「マリちゃんねえ」
溜息を吐きながら、その男が一歩二歩と引き返してくる。諌めるような目を、マリソルは下方から睨みあげた。
「だってぇ、足ダリぃ」
膝を抱えるように蹲った体は、今にもその場に座り込みそうだ。おそらく、泥と動物の糞で尻が汚れるからやらないだけで、爽やかな草の上だったら、とっくに足を放り投げて倒れこんでいただろう。
「休もうよ、おっさん」
「だから、おっさんじゃないって! まだ二十八だよ、まだ! 『ディノさん』とか『ディノ兄ちゃん』とか、いろいろあるでしょーが、いろいろ」
『おっさん』に反応して、男――ディノが反論する。マリソルはしゃがんだまま、その年齢に非難の声を上げた。
「おっさん二十八!? 見っえねえわ、それ! だってリカルド・オリヴィエと同い年っしょお!? ないわぁ」
マリソルの故郷・ボカの街にも公演にやって来た首都で人気の俳優と比較し、少女は手を横に振って否定した。
「あんな童顔メロドラマ俳優、お兄さんは認めないね! 一流俳優は『鳥籠城』の狂王ヴィルジールくらいやらないと!」
悲劇として名高い演目の名前を出して、ディノが鼻で笑う。「なんだよお!」とケンカ腰になったマリソルを相手取ろうとしたところで、周囲の視線に気付いて口を噤んだ。二人を避けて歩く馬車や、大荷物の商人、旅人。通行の邪魔だ。
「とにかく、休むならこっち来なさい」
咳払いをして、街道を包む林の方へマリソルを促す。彼女は立ち上がると、背中を丸めたままトボトボと木陰に歩み寄り、その根元に腰を下ろした。
「第一――」
ディノはその脇に立ったまま、視線を少女に投げかけた。
計算が合っていれば、十五歳のはずだ。そうディノが思うのは、容姿からでは彼女の年齢がいまいちわからないからである。
ドがつくほど派手な金の長い髪は、彼女の毛質なのか僅かにカールしている。肩と胸元を出した編み上げのビスチェは裾からヘソが出ているし、その下の短パン(ショーパン)は若々しい太腿を惜しげもなくさらしていた。開いた胸元には大きな木と石でできた首飾り、歩くと言うのに爪先立ちするような高さのヒール、赤いショールがさらに派手さを際立たせている。極めつけにディノが、まるで闘神を我が身に降ろすかのようだと思うほどの隈取りメイク。一年前に、王国内を巡業公演した舞台『ヒルベルタ』の主人公ファッションが都会の若者の間で流行したが、マリソルの服装はまさにそれだった。
「その恰好じゃ疲れるの当たり前」
「馬車のりたい」
「目立って犯人に見つかるよ。それでもいいなら、どうぞ」
面倒くさそうに頬を膨らませるマリソルだが、その姿は一度見ればなかなか忘れることができないだろう。彼女の父・フェリクスを殺した犯人に情報を掴まれるのは必至である。
マリソルの父――いや、それよりも十年前、『石の樹(アルボル・サクス)』を倒した人物と、国中の人々は認識しているだろう。『石の樹』を倒した神殺しの英雄と。それはメーティスの人間が創造神を超越したという証であり、彼を絶対的な存在へと押し上げる行為だった。その英雄の死。詳しい捜査内容は公に出ていないが、国王や貴族、ギルドや聖職者が犯人を探しているという情報から、暗殺ではと国民は噂している。
死の十日前、フェリクスは突然、軍役引退を宣言したのだ。メーティス王国が、隣国・ウンガスとの開戦準備をしていた時である。彼以外の全ての国民は、寝耳に水だっただろう。なんせ、誰も聞いていなかったのだ。貴族は軍の士気に影響すると喚き、国王自ら撤回するようにと命じたが、彼は受け入れなかった。そして、死亡。国王や貴族が暗殺者を送ったと噂がたてば、大地神信仰の聖職者が行ったことだと囁かれる。王国内で奴隷として使われている植人だ、隣国の獣人が混乱させるためにやったのだ……様々な憶測と、互いに罪を着せあう罵声の応酬。
果たして誰が犯人であるのか、またその裏には誰か他の人物がいるのか、それがわからない以上、下手に自警団や捜査当局に引き渡せないのである。
「もう少しで安全な場所に行けるんだから」
はい頑張って歩こう、と両手を打とうとすると、少女の真剣な瞳がディノへと向いた。思わず真顔で見つめ返したのは、その鬼のような化粧のせいではないだろう。
「本当に安全なの?」
そう問う声は、純粋な子どもの声だった。婉曲を重ねた大人の理論を全て見透かそうとする、切れ味の鋭い刃のよう。
問われた男の背中に、緊張感が走った。
「オーフォに住むヘラルドは、フェリクスの、君のお父さんの古い友人だよ。俺も知ってる。信用に足る人物だ」
「そうじゃなくて」
ディノの喉が強張る。
「そうじゃなくて、おっさんは?」
先程、反発した声とは、全く違う。毛を逆立てた猫というより、狙いをすました狼だ。半狂乱で屋敷を飛び出してきた少女を掴まえてから、彼女のためにこうして動いているが、まさかずっと疑っていたのだろうか。本当に闘神を降ろしているのかねえ、とディノは口元に小さな笑みを零した。
「俺がフェリクスの友達っていうのは本当だよ。証明は、……そうだな……十年前、君に会ってる」
研ぎ澄ました刀の瞳に、彼はニッと口の両端を引き上げた。未だに疑わしげな視線を向けるマリソルに、ディノは続ける。
「戦争から帰ってきた時に。フェリクスからもらったその首飾りを、えらく気に入ってたねえ」
開いた胸元にぶら下がる、大きな首飾りを指差す。荒い唐草模様の木の枠に琥珀が嵌った、丸いペンダントである。
マリソルは顔をしかめたまま、その首飾りを握った。
「あと、一泊して、そのとき遊びに付き合ったな。お姫様ごっこをした」
幼い記憶を呼び起こそうとしている少女に、視線を合わせるように屈むと、しばし眉間に寄っていた皺が、ふと伸びた。大きな目がさらに大きく開く。
「っうぇ!? あのときの――」
「あ、思い出した?」
パチパチと瞬きをし、口を開いたり閉じたり、手で首を撫でたり頬を掻いたり。小さい頃の自分を知っていると恥ずかしいのだろう、マリソルは視線を外して極まり悪く呻いた。
「えー、アレおっさんなのぉ? もっとカッコよかった気ぃするー……」
「まあ、十年前だから、十八だしねえ。
それを言うなら、マリちゃんだってちっちゃくて可愛かったよ」
過去形かよ、と照れながらつっこむ彼女の横顔は、確かに十五の少女だ。そんな鬼の面のような化粧なんて取ればいいのに、とディノは思う。あの時、五歳だった小さな女の子が、十年経ってどう成長したのか、今の顔ではよくわからない。
「フェリクスと同じ黒髪で。戻せばいいのに、それ目立つしさ」
途端に、マリソルの表情が曇った。少しずつ見せていた素顔が、一気に化粧の仮面へ逆戻りする。その変化を見ていたディノは、内心でしくじったことを悟った。
「……これ、パパがほめてくれたんだよね。太陽(ソル)みたいだって」
水滴が静かに零れるような、小さな小さな声だった。太陽と同じ黄金の髪が、顔の上に影を落とす。前髪に隠れ、それだけで表情は見えなくなった。
「最近のいい思い出って、それくらいしかないし」
早口に呟くと少女の手が、くしゃりと髪を掴む。覗く青い目には、暗く鋭い光が差していた。
「大体なんなの、あのオヤジ。勝手に引退宣言して、勝手におっ死んで、なに考えてんのかマジわかんない。アイツのせいで、こんなんなってんじゃん。アイツのせいじゃん」
父を責める声は、わずかに震えていた。悲しい涙声ではなく、怒りが静かに満ちた声だ。隈取りされた瞳は、強く正面を睨みあげていた。
「マリちゃん……」
「どうして、あのオヤジが勝手にやったことに、あたしが巻き込まれなきゃいけないの? あたしは。……あたしは」
苛立ちに、マリソルはギッと奥歯を噛む。同時に、化粧をした目は鬼のそれとなった。
ディノは十年前のことを思い出す。戦争でずっと離れ離れだった娘に、ぎこちない動作で首飾りをかけるフェリクスのことを。母に背中を押され、おそらく見覚えのない父の顔を必死に見上げながら、はにかむ幼い少女のことを。
あれから長い月日が流れた。その間に、果たして彼ら親子に何があったのか、ずっと離れていたディノは知らない。ただ、今は亡き背中を見つめる娘の瞳に、親愛や哀悼とは違う、もっとねじくれた感情が宿っていることは明らかだった。
「あー! もうっ!!」
爆発したように、マリソルは天を仰いだ。
すっくと立ち上がり、両腕を空へと伸ばす。
「天仰ぎ!」
突然、少女は腹から大きな声を出した。
そばにいたディノだけでなく、街道を歩いていた人々も、何事かと視線を向ける。
マリソルはその目を気にすることなく、伸ばした手を左右に振りながら続けた。
「太陽輝く 青空も
星の瞬く 宵空も
見えぬ 遠い地
故郷(くに)恋し
曇らぬことを
切に願わん!」
まるで舞台に立った役者のように、彼女は身振り手振りを交えて詩を叫ぶ。隈取りメイクがまるで道化だが、発声がよく声が通るため、なかなか様になっていた。
最後に祈るように跪くと静止し、次は何をするのかと周囲は注目する。緊張した空気が数秒間、ピンと張りつめた。
だが、マリソルは自然な動作で立ち上がると、
「あ~、スッキリしたぁ」
スイッチが切り替わったように、地声に戻った。喋り方もだらしなく、面倒くさそうに聞こえる。
一体なんだったんだと、わずかの間、足を止めていた通行人はまた歩き出す。すぐそばで見ていた連れの男も、彼女の真意が全く読めないでいた。
「……マリちゃん、今の何?」
訝しげに見るディノに振り返り、マリソルがさも当然のように言う。
「あぁ。ムカつくとやんだよね。むかしからのクセでさぁ」
「あれ、マリちゃんの詩?」
あまりのギャップに、そんな問いが出てくる。奇抜な恰好をした十五の少女が詠むものなのだろうか。
「んーん、パパの詩」
マリソルはあっさりと答えた。
「むかし、パパからの手紙にかいてたのを憶えてさ。こうやってたの。したら、ママが喜んでくれたんだよね」
彼女は苦い表情のまま、徐々に声が小さくなっていった。戦争でルクシルヴァへ向かった父の手紙を、母と二人で読んでいたのだろう。マリソルの母、エストレリャが一年前に病気で亡くなったことを、ディノは知っている。それから少女は父であるフェリクスと二人暮らしだったのだ。
「あー、もうもう! せっかくスッキリしたのにさあ!」
地団駄を踏んで、マリソルは髪の毛を掻き回した。
「こんな状況にしたあのオヤジもムカつくけど、あのオヤジを殺した犯人もちょームカつく! ガッとしてバキッとしてグリッとしなきゃ気が済まないっつの!!」
少女は宙に向けてアイアンクローと右ストレート、さらに踵で踏みつけるポーズを決めて、怒りを表現する。
「まあ、わかるけどさ、内容は。もっと言葉で説明しなさい。語彙なくなるよ、語彙」
擬音語の連発に、ディノは呆れ気味に溜息を吐いた。
「…………えーと、ぎゃふん? ぎゃふんと言わせる!」
語彙って何?と語る顔のまま、マリソルが今度は両手で雑巾を絞るようにすると、彼の溜息は一層深くなった。
「大丈夫かねえ、こんな子で……」