第三章

03

 アーベンの町は、よく言えば活気があり、悪く言えば雑然としていた。石畳の通りには馬車が走り、建物には様々な看板が下がる。職人や聖職者、役人に女性に子ども、全ての顔が認識できないほど人であふれていた。
 通りに並ぶ金細工屋の主人に話を聞くと、ここはアーベンで間違いなかった。ハイマートから数えて六日目の昼だ。そんなことを訊くエルゼを金細工屋の主人は訝しんだが、身なりがいい少女に腕輪や首飾りを勧めた。彼女はにこやかに笑いながら、その場を立ち去った。
 なるべく大きな通りを歩き、エルゼはステンデルの城を目指した。目に入るもの耳に入るもの全てが興味深かったが、細い路地にたむろしている浮浪者や乞食を見ると、不用意に近づいてはいけないと本能的に危険を察した。以前、王都で見た景色と違う。あの時は馬車の中からだった。石畳を直接踏みしめる感覚、市民の騒ぐ声、食べ物のにおいと下水のにおい、知らなかったことばかりだ。
 坂道になった大通りを上ると、城が建っている。石造りで直線的、頑強な城壁は威圧感がある。この町で一番大きな建物。ステンデルの城だ。
 ――さて、どうしよう?
 エルゼはこの町に入る頃には、悪事にも慣れてきた。通行証がないから荷車にこっそり乗った。そもそもハイマートから出てきたことだって、良心の呵責がないわけではない。ただヴィタと天秤にかけた時に、良心よりもそちらが勝っただけだ。心の中で、普段はあまり開かない聖典の救いの一節を繰り返し唱えた。
 城の入り口には、見張り兵が二人いる。少女は彼らに見えないように、衣服と髪の乱れを整えた。ピンと姿勢を正し、物怖じせずに城へ歩みを進める。
「こちらはステンデル侯爵のお城で間違いないですか?」
 突然現れた娘に、兵士は値踏みするような視線を向けた。豪奢ではないが質のいい布地の服に、綺麗で白い肌、水仕事を知らない手。エルゼの顔は、すっかり伯爵令嬢のそれになっていた。
「失礼。どちらのご息女ですか?」
「私は王国南部のフォイルナー伯爵領ハイマートから参りました、マルク・フォイルナーの娘、エルゼ・フォイルナーと申します。侯爵に大切なお話があって参りました」
 見張り兵は互いに顔を見合わせている。馬車にも乗っていなければ、伯爵も使用人も連れていない。しかし外見を見る限り、貴族に違いないことはわかる。
「お連れの方は?」
「一人で参りました」
「馬車で、ですか?」
「車輪が壊れてしまって、市外に止めてあります。御者もそちらに」
 淀みない声で答える。内心では、憶えている限りの祈りの言葉を唱えた。
「侯爵にお訊ねしていただければ、わかることです」
 聞いていない、と言われる前にエルゼから先手を打った。貴族がそう言えば、たとえ聞いていなくても無下にはできまい。もし貴族側が正しかった時、職を追われることになるのは必至だ。
 彼女は、なるべく高飛車に見えるように眉をつり上げた。今にも文句を言ってやる、と高慢な雰囲気を纏う。
「わかりました。こちらへどうぞ」
 先に不安を感じたのは、兵士の方だった。一人を残して、もう一人が城内へ案内する。門前で待たせただけで、この少女は免職を求めるかもしれないと感じたのだろう。残った方が首をひねったのを見て、エルゼは表情には出さずに冷や汗をかいた。
 アーベンの城は、ピンと張りつめた空気を醸し、まるで砦のようだった。王城のような贅を尽くした煌びやかさはないが、調度品や絵画、絨毯は侯爵の城にふさわしい品ばかりだった。あちらこちらを飾り立てない奥ゆかしさが見て取れる。広い城内はしんと静まり返っていた。
「こちらでお待ちください」
 一階の奥に位置する、小さな応接間にエルゼは通された。兵士はステンデルに報告に行くようだ。少女がソファーに腰掛けたのを確認すると、部屋を後にした。
 使用人が来る前に、早くこんな部屋出て行こう。兵の足音が遠ざかり気配が消えると、彼女はさっさと立ち上がり、扉を開いた。もとよりステンデルと面会するつもりはない。白を切られることも、兵を連れてきて追い出されることも、人質にされることも考えられた。歩きまわって捕まるか、大人しく捕まるか、同じ捕まるかもしれないのなら、自分で探させてもらう。悪い事は百も承知。ここへ来るまでに、千回は懺悔をした。あとは万回になる前に、ヴィタを見つけなければ。
 短剣や石や絵の具の入った外套を手に取り、少女は立ち上がる。兵士が預かると申し出たのを、自然な形で拒否するのは大変だった。仕方ないからもう一度、高慢キャラを出してみたら、あっさり引き下がった。手に持っては動きづらいので、室内だが身に纏う。裾をもって移動するのが面倒だが、武器を捨てていくわけにはいかない。
 右よし左よし、エルゼは足音を忍ばせて城内の探索を始めた。