道沿いの村で馬を借りたエルゼたちは、翌日の昼過ぎにようやくハイマートへ戻ってきた。道中は始終無言だった。幸い軽傷ですんだ従者に馬を操らせ、グイードとエルゼは最小限の荷物だけ持って馬車に乗った。完成した絵のキャンバスは諦めた。
グイードが黙って反故(ほご)に何かを書きつけていたので、少女も口を開かなかった。頭がうまく働かなくて、水中から外界を見ているように全てが判然としない。そのくせ手足はブルブルと震え、彼女はそれを抑えることに必死だった。
ハイマートの屋敷に着くと、予定の日になっても戻らないことに狼狽したマルクやアンネリースが、二人を出迎えた。グイードと従者の血に彼らは驚いたが、ヴィタとノルベルトがいないことにさらに仰天した。グイードと従者の怪我を治療しようと、彼らは客室に案内された。屋敷付の医者を呼んでくる。
二人の怪我の処置が済んだ頃、ようやくマルクたちは事の成り行きを知らされた。
「――で」
客室のベッドの上で右足を放り出したまま、グイードは冷やかな視線を入口の二人に向けた。いつも鋭い瞳が、苛立ってさらに細くなる。
「どうしてお前らまでいるんだ!」
入口の脇に立った二人――ターニャとクリストフは、全く気にした様子もなく顔を見合わせた。その、「何を言ってるの、この人?」という態度が、彼の神経を逆撫でる。
「あたしはヴィタを見に来たの」
「私は……まあ、布教活動を」
金儲けだろどうせ!と今すぐ怒鳴って部屋から締め出したかったが、エルゼが、何か役に立つかもしれないし、と押し切った。ベッドの傍の椅子に座る彼女は、グイード自身よりも右足に近い位置にいる。ただそれだけなのに命を握られているようで、彼は不愉快な気分になった。
グイードが咳払いをして、場の雰囲気を仕切り直す。
「とにかく、不可解だった。前車の馬の首を斬ったのに後車だけ無事だったことも、馬車内の俺だけ脚を刺されてノルブは無事だったことも」
「偶々じゃないの? だってエルゼは無傷じゃない」
「お前は口を挟むな、農民っ!
あいつのことだから、むやみに女を傷つけたくないんだろ。もしくは怪我をさせないでも、追ってこられるはずがないと踏んだんだ」
なにそれ!と、エルゼが怒るよりも早くターニャが叫んだ。ようするに、――ノルベルトがクロなら、彼に――見縊(みくび)られたのだ。
「じゃあ、馬車の家紋が隠されていたのは……」
「それは犯罪の常套手段。馬車の形も貴族の間で広く出回ってるやつだった」
何か言おうにも、言ったそばからそれが大した意見ではないと思い知らされる。エルゼの知識や思考では、真相を導くことも初恋の相手を弁護することもできない。
「ノルブが動いたってことは、後ろに父親がいて間違いないだろう。
ったく。王宮でステンデルとノルブが話していたのは見たが、ドリーセンが入る前に話はついてたってわけだ」
悔しげに零すグイードの言葉に、クリストフが反応する。この場に居合わせているほとんどの者が、その老人と面識がある。突然飛び出した名前に一同は驚いた。
「ドリーセン司祭、ですか?」
「ああ、回廊が使えないからと、密会しているところに入っていった」
それ以前に彼らの話が終わっていたのであれば、ドリーセンは関係ないということか。知った名前が飛び出すたびに冷や冷やしていた一同は、胸を撫で下ろす。クリストフだけが普段は滅多にしない険しい顔のまま、視線を床に外した。
「――で、でも、まだノルベルトさんやステンデル侯爵が悪いって、決まってないじゃない。決めつけるのは……よくないわ。決めつけるのは……」
今にヴィタを連れて、この屋敷に戻ってくるかもしれない。最悪の事態を考えることもわかる。でも、信じたい気持ちもある。エルゼは重くなった雰囲気の中、震える声で反論した。最後の方は、自分に言い聞かせるように繰り返した。
父であるマルクが、エルゼ、と娘を窘(たしな)める。
「ステンデル家は亜種との戦争で武勲を上げた、代表的な征服派だ。戦後の亜種殲滅運動の頃、ステンデル家が軍役の傍ら行っていた事業を知っているか?」
少女は嫌な予感がした。頭が沸騰しそうなほど熱いのに、手足が異常に冷たい。
「亜種を材料にした製薬事業。
――万能薬も作ってたってわけだ」
資料を調べればすぐわかる、と言ったグイードの顔は無表情だった。
エルゼは父親に振り返った。マルクもそのことは知っているようだった、苦しげに顔を伏せる。彼女は冷たい手で必死に膝の上のスカートを握りしめた。
「だ、だってノルベルトさんは、保存会の人でしょ!? そんなの……。
それに、ヴィタを万能薬の材料にして、どうするっていうの? ノクス族を絶滅させることにもなるし、そんなことになったら保存会だって共存派だって黙っていないでしょう?」
エルゼの中で、一気に疑問があふれてくる。信じる信じないの問題ではなく、何故どうしてと、真実を求めてやまない声がする。ノルベルトに問い質したい、真相がどうであれ、彼の口から聞きたかった。もう十年も昔に見た、あの優しく儚い顔が脳裏に過ぎる。
「王立大学は思想の制限をしない。生まれについても同じ。征服派の家の出でも他に問題がなければ、保存会には入れる。
次。万能薬を作ってどうするかは、俺の知るところじゃない。ヴィタ一人で作れる量だって、限界があるしな。ただ少なくとも征服派にとって、亜種を殺して妙薬を得る喜ばしい手段であること。
……国を黙らせる策があるのか、そもそも国の機嫌をとる必要がないのかもしれない」
「反乱でも起こすというのかね」
少女が投げかけた疑問に一つ一つ答えながら、グイードは推理していく。最後に独り言のように呟いた言葉に、マルクが苦々しく呻いた。眼鏡を直しながら、男はかぶりを振る。
「さあ。だが無い可能性じゃない」
あまりに話が大きくなりすぎて、ターニャもクリストフも口を挟めない。エルゼも感情と推測の整理で手一杯だ。頭痛がする。眩暈と耳鳴りが引き起こらないだけ、まだマシだった。
ギュッと目を瞑り、彼女は脳裏で笑うノルベルトの顔を掻き消した。そのまま懐かしい思い出が幅を利かせれば、たちまち過去に縋りついてしまいそうだった。そうだ、もう十年も前のことだ。エルゼも変わったし、彼だって変わったのだ。瞼の裏の闇は、混沌とした黒色だった。
「ノルブがどういう心境で行動しているのかは知らん。ただ、推測だけでは限りなくクロだ」
部屋全体を見回し、グイードはハッキリと告げた。
今まで一緒に仕事をしていた、あの赤毛の男を思い出す。貴族然として表面は穏やかに笑っているのに、裏で自分を蔑むような奴だった、と彼は記憶している。だがそれは当然のことだ。上層階級の者は誰だって、身分の卑しい者を賤視する。ノルベルトの性根が腐っているわけではない、身分社会が腐っているだけで。
「今の推理で、最悪の状態など目に見えているだろう。
とにかく王都へ手紙を書いて、ステンデル侯爵領へ兵を向かわせる」
「………………それで、間に合うの?」
ぽつりと零れたエルゼの声は、悲嘆に暮れていなかった。焦燥感が憤りに拍車をかける。
ハイマートから王都まで迅馬でも六日。国王が手紙を読んで、臣下に命令して、彼らが手配して、兵が準備して……。ステンデル侯爵領に着くまで何日かかるというのだ。
ヴィタは大人しくしているか。それとも自力で逃げられるか。ノルベルトは彼のことを、ノクス族のことをよく知っている。ヴィタは強いけど、一人だし――そうだ、ヴィタは強い。アトリエ小屋の前で襲われた時に助けてくれた。助けてくれた――城で怨念から逃げていた時も。そう、怖かった時にいてくれた、助けてくれた。
「私、ヴィタを助けに行きたい」
「エルゼ、何を言っているんだ……」
「だって、ヴィタは私を助けてくれたもの」
怖い思いをした時だけじゃない。小屋で、絵を見て目を輝かせてくれたこと。夢があるのは羨ましいと、否定しないでくれたこと。――一緒にやりたいことを探すのを、喜んでくれたこと。
「気持ちはわかるわ、でも王都の皆さんに任せましょう? ね?」
「ここから追いかける方が速いわ」
「お前に何ができるんだ? もっと現実的になりなさい」
「距離や日数を考えることが現実的じゃないって言うの? 何ができて何ができないか、まだわかってもいないのに、諦めろって言うの?」
頭に血が上った娘を、アンネリースもマルクも宥めようとするが、両親は火に油を注ぐことしかできなかった。
エルゼの両手が、両足が、全身が震える。それは恐怖でもあり、怒りでもあり、緊張でもあった。
「父様も母様も、いつも救済だ慈善だと言うけれど、どうして今は大人しくしてるのよ!? ヴィタを助けに行くことは、貴方たちにとって善行ではないの!? そんなに都合のいいものなの!? 結局、自分のことが大事でそればかりなんじゃない!」
「言いすぎだ、フォイルナー嬢」
普段の思いの丈をぶつけていた少女を、ベッドの上からグイードが制止した。捲くし立てたせいか、エルゼは肩を上下させている。マルクとアンネリースは腫れ物に触るような視線を、彼女に向けた。
「頭を冷やせ。正しいという感情ばかりを振り回すな。自分だけがヴィタの味方だと酔いしれるな」
冬の水の冷たさをもって、グイードの声がエルゼの頭に浴びせられる。脳は沸騰しそうなのに、背中や二の腕が寒かった。
「俺だってあいつに死んでほしくない。ここのいる全員、そうだ」
わかっている、彼女は唇をきゅっと噛みしめた。わかっている、ここにいる全員が、あの青年の無事を願っている。心配している。祈っている。大事にならないことを。わかっている。だから、全員そうだ、と一緒にしないでほしい。
「焦るな……」
溜息のように囁かれた声は、霧のように、空気のように、部屋の中へ行き渡った。エルゼは沈黙した。そうするより他なかった。
室内に差し込む西日が、陰鬱な気分にさせる。橙の光は眩しいばかりなのに、まるで世界の終わりのようだった。
「――あら、もうこんな時間」
アンネリースはハッとすると、パタパタと部屋を出ていった。おおよそ、夕飯のことをハンナに訊ねに行ったのだろう。女主人は何があっても家のことを考えている。
マルクは娘の肩に手を置き、優しく二度叩いた。落ち着けと言う父の態度に、彼女はやり場のない気持ちを持て余す。息んでいた体から時間をかけて力を抜くと、胸に痞(つか)えを残したまま二人の幼なじみに振り返った。みっともないところを見られて、顔を合わせるのが少し気まずい。
「あたしも家に戻らなきゃ。クリストフは大丈夫?」
「僕も帰るよ。夕食の準備に遅れたら罰則だ」
ごめん、と金色の睫毛を伏せる親友に、ターニャとクリストフは顔を見合わせた。
二人を見送るため、エルゼも加わって三人で玄関へ向かう。短い距離はノロノロと歩いても、すぐだった。
「そうだ。僕、明日から聖都に、大きな祭儀を見に行くんだ。お土産、待っててよ」
なんとか親友を元気づけようと、クリストフは少女の肩を叩いた。励まそうとする幼なじみの姿勢に彼女は精一杯、笑顔を作った。
「ありがとう」
彼は手を振って足早に帰っていった。教会の規則違反にならないよう、少女たちは祈った。
「元気出しなね、エルゼ!
さっきの、あたしはいいと思うな。だって好きな人だったらさ、助けたいって思うの当たり前じゃない。しかもあれだけかっこいいしぃぃ」
ヴィタを思い出したのか、にやけ顔になったターニャは気を取り直すため、フルフルと頭を振った。
「エルゼがさ、あんなに誰かのことで怒ったの、初めて見たから。ちょっと羨ましいなあ、なんてね、思っちゃったわけ」
彼女の丸い瞳が、そっぽを向く。いつも真っ直ぐに感情を表現するターニャには珍しいことだ。照れ隠しのためか、ね!と笑った親友に、エルゼは目を細めてそれを返した。
二人の親友が教会や家へと帰っていくのを見つめながら、少女の胸には寂寞の風が吹く。夕日のせいだろうか。暗い夜が、やってくる。
玄関から、世界が見えた。村の中心へと続く道、集まって建つ家や教会、暗い森、遠くの山々、赤い空……。世界は広いと感じる。ハイマートの外のことなんて、きっと自分はほとんど知らないのだと、エルゼは改めて実感した。そんな十七の娘が一人で遠い都市に乗りこむなんて、夢物語も甚だしい。第一、こういう時は男の人の方が助けるものなんじゃないの、捕まってどうする! ……ヴィタに怒っても、仕方ない。怒りたいのは、騎士でもなければ王子でもなく――もちろんだけど――、助ける力のない自分だ。
屋敷の中に引き上げて、彼女は自室へ戻った。わずかに持ち帰った荷物が、届けられている。キャンバスとイーゼルはない。絵の具やパレット、筆などをまとめた袋だけは、持って帰った。これまで置いていくわけにはいかなかった。
長年使っている絵筆――絵を完成させた時、急いで洗ったから痛んでないか心配だった。絵の具はどれもまだ残っている。もう少し、買い足す必要はない。……こんな気持ちでも、まだ絵を描く気なんだ。あの笑顔は、輝く目は、もう見られないのだろうか。……縁起でもない。
エルゼはパレットを開いた。あの時のままだ。気付いたら朝食の時間で、パレットを洗いもせずにヴィタと食堂へ向かった。その後、大人たちに大いにからかわれるのだけれど。あの時のままだ。あの黒がまだ、そこに残っている。ごちゃ混ぜの黒、でも一つの黒。
視界がゆらりとぼやけた。目から何かが落ちていくのを見て、エルゼは唇を結んだ。パレットの黒に、水滴が落ちた。一つ、二つと落ちていく。パレットを持つ彼女の両手に、ぎゅうと力がこもる。
――ああ、嫌だな。いなくなったら、嫌だ。ただ、エルゼはそう思った。
生きていたら生きていたで、縁談だとか輿入れだとか、子どもを産むだの産まないだの、気の滅入る話ばかり聞かされるのだろう。実際、子どもを産んで、腹を食い破られて死にたくない。じゃあ、誘拐されてよかったじゃない――には、ならない。そんな話はどうでもいい、無事に連れて帰ってから考えればいい。
嫌だな、いないのは。
息を肺いっぱいに吸い込むと、エルゼは同じだけ時間をかけてその息を吐き出し、顔を上げた。パレットを大事に畳む。
衣装箪笥から外套を取り出した。北にあるステンデル侯爵領は、ハイマートより寒いかもしれない。続けて、持っている中で一番動きやすい服を取り出した。肩と腕が伸ばしやすいブラウスと、裾が広がりすぎないスカート。ズボンの方が走りやすそうだが、持っていないから仕方ない。靴は足によくなじんだもの、髪を結う紐も使い慣れたもの。
ベッドのサイドテーブルに眠ったままだった、護身用の短剣。唐草模様の鞘から一度抜いて見ると、まだ錆びてはいなかった。使わないことを、祈るばかりだ。
あとは何が役立つだろう。引き出しにしまっている、色の綺麗な石? 光油と灯石も目くらましになる? それを言ったら絵の具も何かに使えるかしら?
そうして物色していると、部屋の扉を誰かがノックした。エルゼは一旦、外套と短剣をベッドの中に押しこんだ。もし両親がこれを見たら、嘆かれるのか怒られるのか、どちらにしてもごめんだ。
「誰?」
慎重に扉を開くと、そこに立っていたのは弟のユストゥスだった。客室でグイードたちと話していた時、彼はいなかった。ハンナ辺りが、皆さんのお邪魔をしては駄目ですよ、と言い含めたからだろう。父親か母親から事情を聴き、姉の様子を見に来たのか。
「あの、姉さま…………ごめんなさい」
ターニャたち同様、励ますか慰めるかだと思っていたエルゼは、突然の謝罪に目を瞬かせた。
「ユス? どうしたの?」
「ボクが、姉さまが死んじゃ嫌だって思ったから、きっと、こんなことになっちゃったんだ」
ユストゥスの大きな瞳に涙が滲む。弟の気持ちは嬉しかったが、彼が何故そこまで思い詰めているのか姉であるエルゼにはわからなかった。それとも思春期の感受性のなせる業なのか。
「ユスの気持ちで、こんなことになったんじゃないわ」
「違うんだっ! ……母さまに聞いたんだ。ノルベルトさんは悪い人かもしれないって」
彼の名前が出たことに、姉は眉をひそめた。
嗚咽をこらえながら、震える声でユストゥスが続ける。
「……ボク、姉さまたちが旅に出た後、ノルベルトさんが水車番と会っているのを見たんだ」
池のほとりにある水車小屋の番をしている賤民のことだ。ノルベルトは、あの日エルゼが誰に襲われたのか、調べてみると言っていた。話を聞きに行ったということ?
「そうしたら、ノルベルトさんが気付いて、ボクに、お姉さんに死んでほしくなかったら、今のことは黙っていようね、って」
どういうことだろう、『死んでほしくなかったら』というのがヴィタのいないこの状況だとすると、水車番と今回のことを話していたとしてもおかしくない。
突然、エルゼは思い出した。馬車を襲った覆面の男が伸ばした手。池のほとりで襲われた時の記憶が、今になって繋がる。陰湿な恐怖。似たような状況だったからかもしれない。しかし、あの手は、あの時にエルゼに伸ばされたものと同じだった。覆面男とともに消えたノルベルト、池のほとりで会っていた彼と水車番――
少女は思考を止めた。憶測ばかりが先を行き、真実がちっとも見えてこない。やはり、直接訊きに行けばいいのだ、彼に。
「ユス、貴方のせいじゃないわ。でもありがとう、話してくれて」
彼女はユストゥスに優しく微笑みかけ、頭を撫でた。弟は今にも泣きそうな顔をして、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「姉さま、あの人を助けに行くんでしょ?」
直球で投げられた質問に、エルゼは曖昧な表情をした。嘘を吐くつもりはないが、肯定しては出づらくなる。ボクも行く、と言われたら、どう宥め賺(すか)せばいいのか、わからない。
ユストゥスはその表情を、肯定ととったようだった。
「ねえ、絶対に誰にも言わないから、夕食の後まで待って。とっておきの近道を知ってるんだ」
その真摯な態度に、彼女は返答に困った。今までエルゼとの約束を破ったことはないが、『とっておきの近道』とは何のことか。彼も姉同様、ハイマートの外を知らない。ましてや遠いステンデル侯爵領である。エルゼも行ったことがないが、弟だってそれは同じだろう。
「お願い」
とても、真剣な声だった。まだ声変わりも終わっていない少年は、姉の碧眼を同じ色の瞳で見つめた。
エルゼは目を閉じて考えると、小さく頷いた。弟には弱い――どんな気持ちを抱いていても。
「わかった」
「じゃあ夕食後に、庭の大杉の下ね」
周りに聞こえないよう小声で囁くと、ユストゥスは元気よく部屋へ戻っていった。
彼女も一度、扉を閉めて中に戻った。夕闇で室内は暗い。
突然、少女の腹がグゥと鳴った。誰もいないのに恥ずかしくなり、彼女は自分の腹をさする。このまま勢いで外に出ても、きっとひもじい思いをしただろう。そもそも、どうやってステンデルの領地へ行くのか決めてすらいなかった。
温かいご飯を食べよう。眠くならない程度に。そうすれば力がわいてくる。きっと、助けられる。そう言い聞かせて、エルゼは準備を整え始めた。