第二章

08

 あっという間に三日目を迎え、エルゼは暗い面持ちでキャンバスに向かっていた。結局、昨日もヴィタとうまく話せていない。ギクシャクした雰囲気の二人を、ファクスはハラハラと見守っていた。
 エルゼは気持ちを落ち着かせようと、部屋にイーゼルを立て、絵を描いていた。昨日は熱中しすぎて、あっという間に下絵が完成してしまった。何もしないとずっとウジウジ考えてしまうが、キャンバスに向かっていると気持ちが休まる。絵の具を混ぜて記憶と視界に残る色を作っていくのが、彼女は大好きだった。現実を、感情を、四角く切り取っていく作業。そうして部屋にこもっている少女を、ファクスは心配して昨日の夕方、様子を見にきた。
 絵を描く少女の背中を見ながら、彼はゆっくりとヴィタの母親――ジェシカのことを話した。
「彼女は私が自分で見つけてきた女性でね。まだ保存会の保護を受けた直後だった。私も若い頃は尖っていてね、あんな人間たちの連れてきた女性に決めてたまるか! と、躍起になってました」
 誇らしげに胸を張るファクスは、幸福感と少しの寂しさの混じる声で語った。
「ああ、でも時代が違いますから、ヴィタを怒らないでくださいね。その頃は行動範囲も保護区域もあったもんじゃなかったから。
 それに、ヴィタだって人任せでエルゼさんを選んだわけじゃありませんから、ご安心を」
 ヴィタのことを考えると、筆を握る手も重くなる。彼のことを考えることは自分の将来を考えることだ、と彼女は理不尽な縁談に憂鬱になった。それでも、そこから手を離すことはできない。
 そもそも父親が健在なら、ヴィタだけに任せていないで再婚でも何でもすればいいのに、とエルゼは思っていた。ファクスはそれを見越していたのだろう、お恥ずかしい話なんですがね、と自分にもう子どもを作る能力がないことを告げた。妙齢の少女は、理由を訊ねることができなかった。
 大きなキャンバスに、この城に佇むヴィタを描いた。キャンバスの中の城と彼は、彼女の心を表したように真っ黒い。だが、この城の黒は、最初に見たヴィタの髪の色は、この黒ではないとエルゼはわかっていた。こんな黒じゃない。ハイマートの景色にはなかった黒。絵の具をそのまま出したものとも違う、青味や赤味を加えても、本物になることはない。
 ずっと、絵の具をいじっては色を置いてを繰り返しているが、お手上げだ。エルゼは絨毯に色がつかないように注意しながら、パレットと筆を放り出した。
 そうだ、部屋にこもっているから、わからないのかもしれない、と彼女は椅子から立ち上がり、エプロンを脱いだ。実際の城や彼らを見ていたら、その色がわかるかもしれない。ヴィタは部屋にいるだろうか。
 エルゼが姿見で自身の服や髪を整えていると、棚の上のジェシカと目が合った。ファクスの表情を見ていれば、彼がどれだけ彼女を愛していたかわかる。好きな人を死なせることになるのに、結婚するのは、子どもを作るのは、どういう心境なのだろう。
 彼女は、死ぬことが怖くなかったんだろうか――
 肖像画のまっすぐな瞳を見つめることができなくて、エルゼは視線を逸らして部屋を出た。
 暁光の塔を下り、広間に出る。細長い窓からは昼間の光が差し込み、夜はあんなに暗くて不気味な城内が穏やかに感じる。音のない静寂も、不安を掻き立てるものではない。
 深更の塔を上ってヴィタの部屋へ行ってみたが、彼はいないようだった。ノックをしても返事がない。少女は再び広間へと戻り、どこを探そうかと城の地図を頭に思い浮かべた。この城ではエルゼの部屋、ヴィタの部屋、食事をする食堂、その隣の談話室、そこから続く広いバルコニーしか行ったことがない。他にも多くの部屋があるだろうが、客人が不躾に動き回るのも失礼だろう。
 広間から食堂へと向かう。エルゼが扉の前に立つと、中から食器の小さな金属音が聞こえた。まだ夕食の時間ではない。誰かが片付けでもしているのか。この城へ来て、召使いの姿を見ていない。
 食事の時間に食堂へ来れば、すでに最初の料理が用意されている。ファクスはどこからともなく次の料理を運んでくる。淹れられた紅茶も。城主である彼が作るはずもない。そんな時間もない。食事から部屋へ戻ると、ベッドが綺麗になっている。バラバラに置いていた本や装飾品や靴も、きちんと並んでいる。二人の親子以外に、誰かいる。それは確信しているのに、肝心のそれは姿を現さない。
 物音の主がファクスやヴィタである場合も考えてから、エルゼは食堂の扉を開けた。中央に置かれたテーブルのクロスは中途半端に捲れあがり、見たことないワゴンに食器や花瓶が片付けられている――が、誰もいない。
「……あの、誰か、」
 声を発してみるが、返ってくる音は何もなかった。エルゼの言葉が消えた後、静けさだけがそこにいる。不自然な静寂は不安を生む。室内を一周して、彼女は扉の前に戻ってきた。誰もいない。透明人間の使用人でもいるというのか。
 仕方なく食堂を出て、談話室とバルコニーも探索したが同じだった。ヴィタやファクスも姿が見えない。エルゼは、知らない場所で一人ということが、こんなに心細いと思わなかった。
 他の部屋の扉の前に立ち、気配を探ってみるが物音はしない。広間に三度戻ると、少女は玄関に向かう階段を下り始めた。もしかしたら外へ出かけているのかも。しかし優しい彼らが、客人に一言もなく外出するか。
 長い通路を歩き、彼女は玄関へとやってきた。扉を開けば、山がある。道をそのまま進めば、移動装置が。彼らの移動範囲が限られているとはいえ、右も左もわからぬ保護区域に出て、どこを探すというのか。そもそも外出している確証もないのに。重い扉が、彼女に圧迫感を与えた。
 玄関から向かって右へ伸びる通路がある。最初に訪れた時、グイードが消えていった廊下だ。あの時は先に何があるかわからなかったが、今は長い通路の先が左に曲がっていることがわかった。……そのさらに先は、わからないけど。
 吸い寄せられるように、エルゼはそちらに足を向けた。カツカツと、ヒールの音が静まり返った城に響く。まるで心臓の音だ。彼女は我知らずスカートを握りしめていた。
 長い廊下を左に曲がると、そこには下へ続く階段があった。階下から柔らかい光が見え、少女の恐怖心を和らげる。子どもの頃、クリストフが城の地下には拷問部屋や牢獄があると話していた。読んだ本に書いてあったらしい。そこから幼いエルゼとターニャを存分に怖がらせる怪談が始まるのだが、彼女はそこで過去の記憶を遮った。今、思い出したくない。ただ、その恐ろしい思い出を省略し、ターニャが恐怖のあまりクリストフの首を締め上げ、彼を落としたという事件を鮮明に脳裏に描き、エルゼは小さな笑い声を漏らした。
 階段を下りると、そこには小さな部屋があった。扉が一つと、さらに下へ続く螺旋階段がある。窓も一つあり、そこからの光で部屋は明るくなっていた。玄関より下だから地下のはずだが、この城が崖に建っていることが関係しているのだろう。
「ヴィター? ファクスさーん?」
 恐る恐る名前を呼ぶが、返答はやはりなかった。そして扉に視線が行きつく。古い木の扉だ。鍵もついていない、とてもシンプルなものだった。勝手に開けては失礼だろうと、エルゼは他の部屋と同じように、前に立って様子を窺おうとした。
 扉に近づき、触れそうな距離に立った時、
「ダメ」
 高い声に驚き、彼女はハッと身を引いた。ヴィタとも、ファクスとも違う声だ。
 声の方向を見ると、そこには黒い影がいた。黒い絵の具をかぶったように全身真っ黒く、青い双眸だけが輝いている。人のようにも、二本足で立った獣のようにも見える。とても小さく、背はエルゼの膝までもなかった。
「……あの、どなた?」
 距離をとりながら、少女が訊ねる。敵意は感じないが、丸い青の瞳から感情を読み取ることはできない。
「シャッテンス、僕(しもべ)。ソコ、限ラレタ人間以外、ダメ」
 人形師が人形の声をあてる時のような、高く機械的な声だった。シャッテンス、というのが彼の名前のようだ。僕ということは、この城の下働きをしているのか。今まで姿を見せなかった女中は下男はシェフは、彼なのだろうか。
 『限られた人間以外』入ってはならない扉が気になったが、詮索はしない方がいいだろう。ヴィタやファクスが見つかったらその時、訊けばいい。
「シャッテンス……。
 あの、ヴィタ、さんや、ファクスさんはどちらへいらっしゃるかしら」
 エルゼは膝を折り曲げ、及び腰になりながらも彼に問うた。シャッテンスはぱちくりと目を瞬かせて、少しの間止まっていた。
「ゴ主人様、書庫。若様、多分、外。ニ、イラッシャル」
 外、とは随分と大雑把な言い方だ。ノクス族の行動範囲を考えると、この城の周囲だろうが、それだけでは地の利がない彼女にはわからない。
「あの、外のどちらかしら。そうでなければ、書庫はどちら?」
 再び、影は静止した。質問するたび流れる沈黙に、予想外の行動をされたらどうしよう、と少女は全身を緊張させている。幼児よりも小さいのに、ヘタな亜種よりよほど怖い。
 真っ黒の腕が、螺旋階段を指す。エルゼはシャッテンスの青く光る瞳を怪訝そうに見つめた。
「外、ソコ、近道」
 あの階段を下りれば、ヴィタがいると言っているのか。今度こそ少女は、クリストフの怪談を思い出した。血塗られた拷問部屋から夜な夜な悲痛な叫び声が聞こえるとか、誰もいない牢屋から壁を引っ掻く音が聞こえるというものだ。幼なじみの笑顔と絶妙な語り口に、彼女はしばらく明かりを消して寝られなかった。
 螺旋階段を覗きこむ。渦を巻いた先は仄暗く、地の底へ続いているようだ。本当に外への近道なのだろうか。
「あ、あの、ありがとう」
 進むか否かは決めかねていたが、少女はシャッテンスに礼を述べた。彼は青い目を瞬きした後、細かな影となって分散し、煙のように消えた。唯一の相手が掻き消え、エルゼはヴィタを探すために螺旋階段を下りた。部屋で大人しく絵を描いていれば、そのうちどちらかが訪ねてきただろうに――少女は探索を始めた自分を呪った。
 窓もない階段は、先に何が待ち受けているのか予測できない。長いのか短いのかも。昼間の和やかな雰囲気は消え失せ、夜と同じおどろおどろしい気持ちになる。
 しばらく進むと階段の出口が見えた。階段の終わりに置かれているわずかな灯りに照らされ、岩の洞窟が眼前に広がる。一本道のトンネルが小さな光に向かって伸びていた。その行き先に見える光こそが、外の世界だろう。
 光の少ない洞窟内は、ひんやりと涼しい。トンネルに風が入るたび、低い鳴き声のような音がする。
 エルゼが足を踏み出すと、パキンと小さな岩が割れるような音がした。暗くて足元がよく見えないが、割れやすい石でも踏んだのか。
 早く外へ出たいのに、怖くて少しずつしか進めない。心の中で自分を鼓舞しながら、彼女は竦(すく)む足を前へ前へと出していった。
 洞窟内の岩が悲鳴を上げるように、パキンパキンと乾いた音が響く。風の音が、
「人間、人間……」
 と、大勢の男の恨み声に聞こえて、エルゼは幻聴幻聴ぜったい幻聴!と頭の中で繰り返した。辺りに木霊する声と心中の悲鳴に、心臓の音も聞こえない。
 一瞬、このまま出口へ向けて走るのと、階段へ戻るのと、どちらが近いか計算する。躊躇して鈍った足に、冷たい風が吹きつけたかと思うと、誰かに足首を掴まれた、気がした。
――――――っ!!」
 エルゼは言葉にならない悲鳴を上げて、出口へ向けて全力疾走した。ヒールで傾斜した足は走るたびに爪先が痛いが、そんなことどうでもいい。スカートが翻ろうが、髪が乱れようが、後で直せばいい。恐怖に神経が振れそうだった。
「人間、人間、人間、」
「憎い、憎い、憎い、」
「女、女、女、」
 幻聴だ勘違いだと言い聞かせないと、地の底から響く呪いに聞こえて仕方ない。走っている間中、足首に、肩に、背中に、髪に、頬に、首に、誰かの手が触れているような気がして――というか、『気』にしておかないと精神がもたない――、それらを振り払うようにエルゼは走って走って走って走った。
「返せ、私の、血、」
「返せ、私の、肉、」
「返せ、私の、私の、」
 耳を塞ぎたかった。目も瞑りたかった。でもそれではうまく走れない。前後に振る腕を、真っ黒い何かが掴もうとしている、気がした。見えなくていい、そんなもの!
 馬車の中でヴィタが言った、蹴りの方が強い、という言葉が閃いた。閃いたが、この黒い何かは蹴れるものなのか。しかも、全力疾走中。蹴ることはできない。
 ようやく明るい外の世界へ出られるというところで、エルゼの手首を真っ黒い手が掴んだ。振り払おうともがいても、駆ける足は止めず、前へ進む。
 出口からの陽に、黒い手は煙のように見えなくなった。こんな黒じゃない。視界に外の光があふれる。
 洞窟からやっとのことで脱出すると、彼女は体に黒いものがついていないか必死に確認し、その場に崩れ落ちた。全力疾走したせいで呼吸が荒い。ようやく、心臓が破裂するくらい動いている音が聞こえた。目にじわりと涙が滲む。
――エルゼ?」
 聞き覚えのあるテノールに歪んだままの顔を上げると、ヴィタが宙に浮いたまま顔を覗きこんでいた。大丈夫?と地面に降り、身を屈めた青年の肩にエルゼは、安堵のあまりしがみついた。俯くと涙が零れそうなのに、力が抜けて頭が持ち上がらない。
「ヴィターっ! よかったーっ」
 髪もぐしゃぐしゃなら顔もぐしゃぐしゃだが、そんなこと知ったこっちゃない。こんなところにいるヴィタにも、近道だと言ったシャッテンスにも怒りはわいてきたが、それよりも安心感に浸っていたかった。
 しがみつくエルゼの小さな肩に手を置いて、ヴィタは洞窟を見つめた。中から吹く風は、木霊する呪いだ。口々に何かを語りかけるその低い声を、彼の長い耳が聞いていた。
「この人は、貴方たちを狩った人間ではありません。俺の大切な客人です」
 喚く声が嵐となって荒れ狂うと、それらは暗闇へ徐々に引き返していった。辺りに静寂が訪れる。
 身を固くしていたエルゼは、ゆっくりと洞窟に振り返った。もうあの黒い何かは見えない。
「エルゼ、どうしてこんなところに?」
 顔を覗きこんできたヴィタに、涙を拭いながら彼女は急いで距離を取る。間近で泣き顔を見られるなんて最悪だ。
「……ヴィタがこっちにいるって、言ってたから」
「誰が?」
「……シャッテンスっていう、小さい影」
 咎める色はないものの次々と繰り出される質問に、エルゼは極まり悪く答えた。その返答を聞いたヴィタは、溜息を吐く。
「シャッテンスか。どうりでエルゼに、この道を教えるわけだ」
 一人で納得している青年に、髪や服の裾を直しながら、今度は少女が訊ねた。
「私は、シャッテンスが召使いだと思ってたけど、違うの? 悪い子だったかしら」
「シャッテンスはこの城の僕だよ。滅多なことがない限り、姿を見せない性質なんだ。
 だけど少し頭が回らないところがあってね。おそらく俺への最短距離を割り出して、この道を教えたんだろうけど、エルゼが人間だと計算に入ってなかったんだ」
 割り出すとか、計算とか、学者が研究しているカラクリみたいだ。確かに生き物より人形や道具に近かった、と彼女は小さい影の青い瞳を思い出した。
「ここは通らない方がいい。万能薬の材料として人間に狩られた先祖の怨念が、棲みついてるらしいから」
 怨念という単語に、エルゼはまた背筋を凍らせた。碧色の瞳が不安げにキョロキョロと動く。
「大丈夫。この洞窟以外では見たことがないし」
「でも、帰りに通らなきゃ……」
「向こうの崖に階段があるから」
 ヴィタは洞窟と反対方向を指差した。道が湾曲して続いている。改めて周囲を見ると、ここは崖の途中にできた道らしい。右手には岩の壁がそびえ立ち、左手は足を踏み外せば落ちてしまう断崖絶壁。上を見ると崖ギリギリに城が建っていた。
 引き返す必要がないとわかりエルゼは再度、安堵の溜息を吐いた。
「ちゃんと危ない場所を知らせておけばよかったね。でも、こういう時こそ蹴らなきゃ!」
 申し訳なさそうに言った後、励ます声には勢いがある。勢いはあるが、的が外れている。
「怨念をどうやって蹴るのよ……」
 客として部屋にこもっていたことを謝罪したいと思う一方、少女は突っ込まずにはいられなかった。
「こう……飛び蹴りとか、回し蹴りとか」
 言いながら足を前へ後ろへと操り、見本を示すヴィタに、エルゼはさらに疲れを感じた。蹴りについての詳しい説明を求めていないのに、やはりこの青年は自分と思考回路が違うようだ、と彼女は改めて実感し、きれいさっぱり無視をした。
「……まあ、私も部屋にこもりきりで絵を描いていたから、危険なところや護身術を聞く暇がなかったわね」
 せっかくノクス族を知るためにここへ来たのに、彼らと交流しないでどうするのか。瞼を伏せて反省するエルゼを特に気にする様子もなく、彼は楽しそうな声を上げる。
「絵は完成しそう? どんなのを描いているの?」
 湿っぽい雰囲気から一転した口調に、少女の気持ちはなかなか対応できなかった。どんな調子で答えればいいのか迷っている彼女の視界に、ヴィタの長い黒髪が映る。
 そう、この色。声に出して説明するよりも早く、少女の手はその漆黒の髪を掴んでいた。
「エ、ルゼ?」
「あ、ごめん」
 狼狽している青年に、我に返りエルゼが謝る。しかし次の瞬間には、またその色を見つめていた。黒色なのだ。真っ黒、漆黒、闇色――でも、キャンバスに塗った色とは異なる。陽の光のもとで見るからか。違う、夜の闇で見た時と印象も色も変わらない。
 自分の髪を凝視し、いじりながら沈黙した少女の真剣な顔を、ヴィタは何も言わず観察していた。泣いて赤くなった目元は、あの恐怖を微塵も残していない。それを一瞬にして拭い去ってしまった、自分の黒髪への関心。彼女は今、没頭している。そんな風にひたむきに何かを追い求める姿が、彼はとても眩しく羨ましかった。
「ヴィタの髪の色が、お城の色が、どうしても出せないの」
 じっと手の中の黒髪を見つめたまま、エルゼは呟いた。
 沈んでいたその碧眼が見開かれたかと思うと、彼女はヴィタを見上げていた。
「そうよ。モデルとして座っててもらえばよかったのに、どうして気付かなかったのかしら」
 気持ちを落ち着かせるために始めた作業だったので、実物摸写ではない。しかし、城もヴィタも実在のものだ。色が出ないなら、実際に目の前にいてもらえばいい。エルゼは自身の閃きに、満面の笑みで何度も首肯した。
「そうしましょう! 絶対うまくいくっ!」
 全身に力がみなぎるのだろう、少女は興奮して両手で拳を作った。
「……エルゼ、少し痛いんだけど」
「あ、ごめん」
 手に握られたままだった黒髪を、彼女は急いで放した。