ノックの音に、黒髪の男は顔も上げずに返事をした。
「入れ」
頑丈な両開きの扉を片方開け、ノルベルトが姿を現す。男はそちらを一瞥もせず、ペンを走らせた。やがて区切りがついたのか、ペンを置いてようやく顔を上げる。
「絶滅危惧種のノクス族の婚礼について、ご報告申し上げます」
片手に持っていた書類を、赤毛の男が読み上げる。
「フォイルナー伯爵令嬢のエルゼ・フォイルナーとの縁談が、期日中にまとまりそうです。まだ正式な契約書は完成していませんが、現在は仮契約という形で、フォイルナー嬢はノクス城へ三日間の滞在をしています。ルケスキート・ヴィタ・ノクスの満十八歳の誕生日に婚礼の儀を執り行う予定です。
……陛下? レオンハルト国王陛下?」
「ん、聞いてる」
自分の報告に全く反応を示さない国王に、ノルベルトは顔色を窺う。国王――レオンハルトは片手を上げて、その呼びかけに答えた。
「そうか、御苦労」
労いの言葉なのに、彼の顔はちっとも労っていない。関心がないのだ、ノルベルトはそう理解していた。王家の紋章を掲げる団体であっても、それは変わらない。――変わらない。彼が何かに強い興味を示し、執着した姿を見たことがない。世継ぎ問題以外、国王の仕事は務まっている。サインのできる右手と、笑顔を作れる顔があれば、国は回るものだ。今日を脅かす敵や貧窮は、今この国にはない――少なくとも、上層階級には。
「ノクス族担当のアドラーは、随分と張り切っているようです」
グイードのことを持ち出したノルベルトは、唇をつり上げた。声にはわずかに嘲りの色が見え隠れする。
「アドラーは貧民街の出だったな。そりゃ必死だろうよ」
「憶えておいででしたか」
「臣下のことは大体憶えている。記憶力はいいんだ」
レオンハルトの語調は、一向に変わらない。感情がないわけではない。ただ、とても淡白だ。グイードが貧民街の出だろうが、ノルベルトと同じ貴族だろうが、彼にはさしたる問題ではないのだ。
「……それで? お前自身、何か支障はあるのか?」
嫌味や侮蔑の言葉は何一つなく、あっけらかんとした表情で国王が赤毛の臣下に訊ねる。
「――いえ。すべて順調です。それでは、失礼いたします」
一礼すると、彼は踵を返して国王の執務室を後にした。黒い髪に黒い服、葬式の参列者というより、首を刈りにきた死神のようだ。国の頂点に立つ者であるのに正直、気味が悪いとノルベルトは感じる。
黒髪に黒服――ノクス族のヴィタも似た格好をしているのに彼にはそういう、背中が薄ら寒くなるような怪しさはない。小さい頃から知っているからか。いや、小さい頃から知っているのは、レオンハルトだって同じだ。
黒を消すためには、同じ黒で塗り潰すしかないのだろうか。
無意識に奥歯を噛みしめて、ノルベルトは足早に去った。