第二章

04

 ヒュルメンと別れてすぐに、移動装置へ到着した。中央の青い鉱石は同じで、周りの六つの石が岩山で見たものと違う配置で並んでいる。
 グイードがちらりと懐中時計を見て、呟いた。
「これなら、なんとか日暮れまでに着くだろう」
 彼がそのまま鉱石に乗ると光に包まれ、いなくなった。二度目だから殿(しんがり)を務めなくてもいいと判断したのだろう。
「先に言うと、次は三時間くらいの移動だよ」
 どうやら次はヴィタが最後に回るつもりらしい。表情で促されて、エルゼは装置の上に乗った。今は昼過ぎを通り越してお茶の時間だから、これから三時間となると夕暮れ時か。ああ、だから日暮れまでに、と言っていたのだと合点がいった。
 二度目の青い光に包まれると、次に見えたのは茜色の空だった。空は赤くても、辺りはもう暗い。周囲を見回すと、やせ細った木々がお化けのような影となって並んでいた。吹く風が冷たく感じる。
「早くそこを退け」
 離れた場所にいるグイードに言われて、少女は慌てて移動装置から出た。鉱石がすぐに青い光で溢れ、ヴィタと、続いて従者が姿を現す。
 エルゼは雰囲気から、ここが丘で見た北西の山であると察した。ノクス族の城の近くまで来たのだろう。移動する前に言われていたせいか、景色の急激な変化にも大きな動揺はない。
「行くぞ」
 グイードの先導に、彼女たちは歩き出す。おどろおどろしい影の木々が並ぶ道を抜けると、そこは崖の上に建つ城の入口だった。間近で見ると奇妙な形をしている。細長い塔が何本も建っているが、まっすぐではない。木の枝のように曲がりくねっている。崩れ落ちないのが不思議なくらいだ。ハイマートの屋敷の比ではなく、小さな城と同じくらいの大きさはあるだろう。奇妙な塔を含めて考えると、もっと広いかもしれない。
 見上げるエルゼは、初めてヴィタを見た時のことを思い出した。薄闇の中で感じた恐ろしさと、興味。それにそっくりだ。
 重々しい入口の扉についた紋様に青年が手をかざすと、軋んだ音を立てて扉が両側にゆっくりと開いた。エルゼは慌てて髪と服を直し、ピンと背筋を伸ばす。
 ヴィタの父親に、最初に何と挨拶をしよう。やはり淑女然とすべきだろうか。まだ縁談は決まっていないし、何より望んでこうなったわけではない。今だって、ヴィタの子どもを産もうと全く思わない。ここは少し距離をとるべきか。悪い印象を与えるよう頑張ってもいいが、しかしそれでは後味が悪い。そうこう考えていると、扉が開いた。
 玄関を入ってすぐ薄暗い廊下があり、左右に路が分かれている。壁の燭台には光がともされていたが、暗い壁の色のせいか、仄明るいのに不気味だ。吹き抜けの玄関ホールがあるハイマートの屋敷とは、随分と違った。
「親父ー、ただいまー」
 ヴィタのよく通るテノールが、廊下の奥へと吸い込まれる。かすかな反響も消えた頃、左の廊下の奥から、ものすごい速さで何かが飛んでくるのが見えた。それが人であるとエルゼが認識したのは、その男が彼女の目の前で急に速度を落とし、地面に足をついた時だった。カツカツと足早に距離を詰め、彼は驚いている少女の両手を握った。
「いやあ、こんにちは、エルゼさんっ!」
「こ、こんにちは……」
 突然のことに混乱して、彼女はそうとしか返せない。扉が開く前に考えていた挨拶のことなど、すぐに消え失せてしまった。
 ヴィタの父親は、四十半ばほどの細身の男だった。皺や肌を見ると、エルゼの父親と同じ年代に見える――ノクス族が人間と同じ年の取り方をするのであれば。まばらに銀色が混じった髪や顎鬚は清潔に整えられ、ヴィタ同様、布をゆったりと使ったノクス族の服を着ている。
 さすがは彼の父親と言うべきだろうか。エルゼからすれば『オジサン』であるにも関わらず、やはり美形だと思った。若づくりというわけではない。齢を重ねた皺まで味方につけて、年相応の輝きを遺憾なく放っている。丸っこい自分の父親と重ねて、彼女は、世界は残酷だと感じた。
「私、ファクス・ドゥコ・クラ・ノクスと申します。ヴィタの父です」
 ヴィタと同じか、それ以上に長い名前に、エルゼの記憶力は敵わなかった。少女が聞き返していいものか悩んでいると、
「遠慮せずファクスと呼んでください。さすがにまだ、『お義父さん』は早いでしょう」
 彼はパッと眩しい笑顔で先に答えた。
「親父、手」
 エルゼの後ろからヴィタが視線を手に向ける。ファクスは未だ彼女の両手をぎゅうと握ったままだ。
「ああ、失敬」
 息子の冷たい指摘を受けて、ようやく少女の小さな手を放す。自由になった手を自分の元へ引き戻すと、エルゼはスカートをつまみ、挨拶をした。
「ハ、ハイマートから参りました、エルゼ・フォイルナーと申します。……短い間ですが、お世話になります」
 扉が開く前には、幼い頃から叩きこまれた挨拶の例文が、グルグルと頭の中を回っていたのだ。しかし、実際に何を言えばいいのかわからず、わからなくなればなるほど、口から言葉が出てこない。結局、最低限のことしか言えず、エルゼは緊張と恥ずかしさで赤い顔をした。
 ファクスはそれについては何も述べず、
「うん。ようこそ、いらっしゃい。楽しい三日間になるといいね」
 穏やかな目で彼女の挨拶を受けと、父親の顔で微笑んだ。
「荷物は暁光の塔の部屋へ。ギドも御苦労さん、夕飯食べていくかね?」
 ファクスは従者に指示を出した後、グイードへと視線を向ける。彼は小さくかぶりを振り、その申し出を断った。
「いや、俺たちはこれから王都へ戻る予定だから遠慮する」
 荷物を運んでいった従者を顎で指しながら、彼は言った。
「これから?」
 エルゼは眉根を寄せて不思議そうにその男を見た。もう黄昏時を過ぎ、完全なる夜へ移ろうという時間だ。移動装置へ戻るために今から城を出ても、闇で足元が見えないだろう。
「それは機密事項」
 得意げに笑うと、グイードはファクスに鞄から取り出した封筒を渡した。王家の紋章の入った封筒だ。
「中にはフォイルナー嬢に関しての書類が入っている。
 ヴィタ、お前にはノルブから手紙」
 と、青年には別の封筒を手渡す。
 別れる前の引き継ぎを済ませると、彼はエルゼを見た。途端、顔をしかめる。また何か嫌みたらしいことを言われるのだろうか、と彼女は身構えた。
「三日間だ。それに、ノルブも俺も、ちゃんと迎えに来る。そんな顔するな」
「……え?」
 言葉の意味がわからず、エルゼは自分の顔に触れた。『そんな顔』って、どんな顔。文脈から察するに、よほど寂しそうな表情でもしていたのだろうか、あのグイードに対して。そこまで考えて彼女は、この見知らぬ城で三日間も、違う種族の親子と過ごすのだと理解した。少しは親しくなったヴィタだって、知り合ってまだ日が浅い。父親とはさっき対面したばかり。二人とも亜種。しかも男。城の外は人間のいない、保護区域――
 自覚すると途端に、その感情は強くなる。初めてづくしの興奮と緊張で、鼓動が速くなっているとばかり思っていた。それだけじゃなかったんだ。
「あ……」
 大丈夫とも、ありがとうとも返せず言葉に詰まるエルゼに、グイードは仕様のないとでも言うように溜息を吐いた。
「何か困ったら、ファクスに言えばいい。ヴィタの母親は人間だったからな。ある程度は慣れているだろう」
「そうだよ! オジサンに言いにくいことだったら、近くに住んでるソノ族の女性を呼ぼう」
 安心させるように、ファクスは屈んで少女の顔を覗きこんだ。親身になっていることがわかって、彼女の顔も自然とほころぶ。
「エルゼ。ここは他人の家だからと、遠慮しないでいいから。
 何が嫌だとか、何が困るとか、そういうこともわかりたいんだ」
 顔の距離が近い父親を一瞥してから、ヴィタは彼女に優しく言った。その言葉を頭の中で反芻すると、エルゼは小さく頷いた。
「……ありがとう。こんなに良くしてもらったら、きっと困ることなんてないと思う」
 幸せそうに微笑む顔で、彼女は三人を見た。
「では、俺は帰る。また三日後に」
 少女の様子に、満足げに口の端をつり上げると、グイードは玄関から向かって右の廊下へと歩いて行った。燭台の光に照らされた廊下は、その先に何があるのかわからないほど長く続いていた。
「二人とも疲れただろう。もうそろそろ部屋に荷物が届いている頃だ。
 エルゼさん、案内しましょう」
 ファクスが大きな身振りで、左の廊下を手で示した。
 玄関から左に伸びる長い廊下を歩き右へ曲がると、上り階段が現れた。その間、扉も窓もなく、ただ灯石の光が一定間隔で灯っている。石のような素材で作られた壁はどんよりと暗い色で、閉塞感があった。
 階段を上ると、そこは大きな広間だった。高い天井に向けて伸びる細長い窓は、夜空を切り取っている。エルゼたちが上ってきた階段以外に、四つの上へ伸びる螺旋階段が見えた。それ以外には、城の奥へ続く大きな扉があるだけだ。細長い窓の枠、扉や壁の模様には曲線が多用され、ハイマートで見る唐草模様とも全く違う印象を受けた。
「階段は、向かって右から、黄昏、宵闇、深更、暁光、それぞれの塔に続いてる。エルゼさんの部屋は暁光の塔の部屋。
 こっちの扉の奥は、昔の執務室や資料室、あとは応接間などがある。今は応接間と食堂、あとは談話室くらいしか使ってないがね」
 ファクスはその都度、指で指しながら説明し、彼女は懸命に耳を傾けた。とりあえず、自分の部屋が宛がわれる暁光の塔の階段だけはしっかりと頭に入れる。
「ちなみにヴィタの部屋は深更の塔。ヴィタ、あとで見せてあげなさい」
 父の言葉に息子は頷き、
「それじゃあ俺は一度、部屋に戻るから。また夕食の席で」
 エルゼに手を振り、隣の深更の塔へと続く階段を上っていった。
 少女はファクスとともに、暁光の塔の階段を上っていく。塔へと続く螺旋階段は幅を広くとり、傾斜も緩やかだった。途中に丸い窓がくり抜かれ、そこから高さがわかる。いくつかの扉が左右を通り過ぎた。
「ここへ来る途中、ヴィタは粗相をしなかったかね?」
 先導するファクスは、笑いを含んだ声で後方のエルゼに問う。
「え、ええと?」
 少女はそれまでの彼の行動を思い出し、適切な言葉を探しあぐねていた。粗相。どこからが? 最初に、真夜中の部屋に突然訪れたことは、粗相か。無礼だったけど、でも乱暴をされたわけではないし。じゃあマドレーヌ? あれは粗相? あれはバ……いやいや、世間知らずなだけで。でも何者かに襲われた時、助けてくれたし……。もうすぐ十八になる青年が粗相?
 彼女の沈黙を是と取った父親は、低く喉の奥を鳴らした。
「人間のお嬢さんにしてみたら、世間知らずでしょう。あれでも本はたくさん読むが、いかんせん経験不足と言うんですかね」
 保護区域の中でも、種族ごとに自由が許されている区域は違うと、ファクスは話した。用向きで移動する時は、保存会の同伴や許可が必要なことも。ノクス族にとっての領域は、この城と周囲のわずかな範囲だけだ。
 ヴィタはこの城の中で、今までの人生の大半を過ごしてきたのだろう、とエルゼは窓から見える夜の世界を眺めて考えた。ハイマートでターニャたちと駆け回って過ごした自分と、つい対比させてしまう。そんな自分も、王都や貴族の屋敷に呼ばれるとき以外、数えるほどしかそこから足を踏み出していないことを、彼女は知っていた。
「……私も自分の村以外は、あまり外の世界を知りません。だからここへ来る途中、ヴィタさんと一緒になっていろんな景色に感動しました」
 一緒になって見る風景の楽しいこと。世間知らずと言うのなら、ハイマートからほとんど出たことのないエルゼだって、そうなのだろう。人ひとりが世界のどれだけを知っているというのか。
「一緒にいて楽しかったのなら、よかった」
 螺旋階段が、いつの間にか真っ直ぐの階段になっていた。勾配もきつくなる。さすがに少し疲れが見え始めた頃、ようやく初めの階に到着した。小さな廊下に四つの扉が並ぶ。
 ファクスはその中で一番奥にある扉を指した。扉には花をモチーフにしたレリーフがかかっている。
「こちらがエルゼさんの部屋」
 彼は部屋の前へと進み、どうぞ、と扉を開いた。
 扉の奥の風景に、エルゼはハイマートを思い起こした。充分な広さの室内に敷き詰められた絨毯やベッド、机や棚の家具は、人間の使うものばかりだった。細部に施された彫刻装飾やカーテン、敷物は草花の模様で、彼女は自分の部屋を連想させた。ノクス族の暗い色調や曲線的なデザインに慣れていないせいか、この部屋には安心感を抱く。
「素敵なお部屋ですね」
 わざわざ自分のためにこしらえたとは思えないが、人間の客人も利用する部屋なのだろうか。内装を見て回りながら感嘆の声を上げる少女に、ファクスは嬉しそうに頷いた。
「以前、妻が使っていた部屋です」
 エルゼが振り返ると、彼は棚の上に置かれた小さな肖像画を、彼女に見せた。
 飴色の髪を結いあげた、若く美しい女性が描かれている。眉や唇は優しく女性的だが、大きな瞳には聡明な光と意志の強さが宿っていた。一つ一つのパーツを見るとヴィタと似ていないのに、全体の雰囲気はとても似ていると感じる。
 彼女が十数年前、この部屋で生きて、暮らしていたのだ。
 エルゼは困惑して、ファクスを見上げた。
「そんな大切なお部屋を使えません。まだ……その……か、仮契約なのにっ」
 あれだけ言葉を選べと思ったグイードと同じ言い方をした、と少女は瞬時にショックを受けた。おそらくそれが伝わったのだろう、ファクスはおかしそうにふき出した。やがてその笑いを収めると、穏やかに彼女に向き直った。
「決まってないのなら尚更、妻のことは知ってほしい。そうでしょう?」
 同意を求められ、エルゼは何かが引っかかった。縁談は決まっていないが、だからといって実質的な拒否権があるわけではない。実際、ハイマートでは彼女の輿入れの準備を始めているだろう。それなのに、ファクスはこんなことを言う。そうだ、ヴィタも。
「この城にいる間、なるべくたくさん、私と妻のことを話しましょう。ヴィタともたくさん話してほしい。
 この話がどう進むことになろうと、納得しなければ意味がない」
 この父親が話す言葉と、ヴィタが重なる。彼も『命じる』のではなく『頼んだ』、とエルゼは回想した。不条理な運命だが、その中に優しさを見つけて嬉しくなる。しかし、どうしてそこまでしてくれるのかが、わからない。絶滅危惧の亜種だから人間に迎合している、という態度ではない。紳士然として見えるのは、そういう主義だからだろうか。
 その紳士はちらりと懐中時計を確認した。
「夕食までまだ少しある。移動ばかりで疲れたでしょう。のんびり寛いでください。
 時間になったら、ヴィタを迎えにやりますから」
 エルゼが頷くと、それでは失礼、と彼は部屋を後にした。
 ベッドの傍に置かれた自分の荷物を確認する。油絵の道具以外は、一つの旅行鞄に全て収まった。ハンナには、お嬢様はもっとドレスをお持ちになってください、と荷造りを手伝ってもらった時に嘆かれた。
 今日は随分と移動した。土に汚れた靴を脱ぎながら、エルゼは順繰りに思い出した。馬車に揺られ、山の中腹から保護区域に移動装置で移動。一日かけて。歩いて、森の中へ。ヒュ……ヒュルメンという亜種の女性に会い、また装置で移動。夕方、城に着いた。体感している時間は短いのに、二日分の疲れがどっと押し寄せる。ブラウスとスカートを脱ぐ手足が重い。
 そういえば、この城で親子二人だとヴィタは語っていたが、手伝いはいるのだろうか。食事の準備や部屋の掃除は? 下女はいるのか。これまでの旅程で、エルゼはなるべく自分のことは自分でやってきた。グイードに馬鹿にされ、ヴィタや従者に優しくされ、今まで召使いがしてくれたことを少しずつ覚えた。
 夕食の席には何を着ていこうか、少女は悩む。ハイマートの草原を思わせる若草色のドレスを選ぶと、棚の隣の姿見で体に当ててみた。この城の雰囲気には合わないが、人間の社会で黒は葬式の色だ。沈んだ色も農民や庶民の色なので持っていない。
 ふと棚の上の肖像画と目が合った。彼の母親は、どんな人物だったのだろう。この城へ来て、困らなかったのか。人間の町や村に帰りたいと、考えたことはないだろうか。――幸せ、だったのだろうか。
 エルゼは一人で四苦八苦しながらドレスを着た。そうして目先の問題に懸命になっていないと、見えない何かに押しつぶされてしまいそうだった。
 背中のリボンを結ぶ時、一人でにリボンがシュルシュルと動き、綺麗な形に結われた。少女は怪訝そうに姿見で背中を見たが、そこには何も不自然なものは映っていなかった。