閑話休題
「ホンット、おっさん、だらしない」
マリソルがそう憤然と言ったのは、ちょうど彼ら一行がデンタ村からボカへと向かう途中だった。
幉(たずな)を握っていたヘラルドは、その『だらしない』という言葉が少女の口から出たことに少々驚いた。彼女だって宿では、自分のベッド周りに私物を散らかし放題だし、荷物をまとめ終わるのも最後だ。旅慣れていない十五の娘、と言ってしまえばそれまでだが、整頓能力がないのは事実である。
「マリちゃんだって、相当汚いよね」
そのヘラルドの心中をそのまま少女に返したのが、『ホンット、おっさん、だらしない』と言われたディノだった。おっさんと呼ばれてはいるが、実際は二十代にまだ引っかかる齢だ。
「そうかもだけど!」
思いの外、あっさりとマリソルはその事実を認める。
「でも、おっさんはだらしない! パパはそんなじゃなかったもん」
パパというのは、十年前に『石の樹(アルボル・サクス)』を倒した英雄、フェリクス・パドルである。彼女は此処、メーティス王国の英雄の娘なのだ。
その英雄は昨日(さくじつ)、自宅で殺された。マリソルはその現場を、扉の隙間から見ていた。そのために今の旅に出るはめになったのだが。
その英雄である『パパ』は、ディノのようにだらしなくなかったらしい。
「さすが英雄。庶民と違うね」
英雄――マリソルの父と友人のディノは、ハッと笑ってそう皮肉った。
(ってか)
ふと、彼は心の中で独りごちる。
(そういうところがファザコンなんだけど、本人気付いてないんだろうな)
出会った当初、彼女は死んだ父親に対して怒りを向けていた。こんな旅をするはめになったのは、父親のせいだと。親が殺されて悲しむよりも、その憤怒とも取れる苛立ちは、死んだ父自身に向けられていたのだ。それは愛情や寂しさや悲しさ、怒りを混ぜこんだ、ねじくれた感情だった。
だが、ディノは最近、マリソルの父親に対するコンプレックスがわかり始めた。一言で言ってしまえば、自覚していないファザコンなのだ。
「何よ、おっさん」
ふう、と溜息を吐いたその傭兵に、マリソルは睨む瞳を向けた。
「別に、どうってことないよ。
だらしないんだったら、ヘラルドだってそうだろう?」
そこで矛先は、幉を握って小さな幌馬車を操縦する彼、フェリクスの友人である男、ヘラルドへと向けられる。
「ん? オレ?」
「前向いて、前」
後ろを振り向こうとしたヘラルドに、彼のすぐ近くに座っている恋人、リウィアイが制止の声を上げる。
ガタンッと道に落ちている石で馬車が揺れただけで、何も事故は起きずに済んだ。
「オレは使用人がやってくれるからいいの」
前を向きながら、やや大きめの声で彼が答える。
ヘラルドの家、カルバハル家は大きな侯爵家である。彼と恋人のリウィアイが住む別邸にも、使用人は山ほどいる。彼自身が整頓や掃除をする必要がないのだ。もっとも、彼はリウィアイと二人で旅に出たりするのだが。
「旅のあいだは? リウさんがするの?」
リウィアイを愛称で呼び、少女が疑問を口にする。
「リウはしないよ。使用人のマネはイヤだって」
被っているヴェールが風に煽られないように抑えている彼女は、「ええ」と小さく肯定した。
リウィアイの足首には青銅の飾りがある。奴隷身分の証だ。彼女は十年前に滅亡した国に住んでいた植人(フランタ)であり、この国に奴隷として売られたのだが、ヘラルドとは対等な関係にあるらしい。自分を卑下する素振りも、逆に反抗する素振りも、彼女は見せない。髪は蔓と葉でできていて、身体に緑の脈を持つ別の種族なのに、人間らしく振る舞う。
「二人の旅の時は、自分でさせるの。
いくら貴族だからって、そういうのは育てないと」
しれっと彼女は言うが、ヘラルドもまんざらではない顔をしている。が、それは後方に座る二人には見えなかった。恋人を教育するリウィアイに、マリソルは「へぇ~」と感嘆の声を上げた。
*
「そういえば」
その話題の次にふと呟いたのは、リウィアイだった。
「明け方、誰か大きな声出してた? 『アメンボ赤いな、あいうえお』みたいな」
「あ、それ、あたし……」
そう小さな声で返したのは、マリソルだ。早朝に起こしてしまったのかと、少々極まり悪いのだ。
「不安なときに、パパの詩を暗唱するんだ」
「すごいよ。暗唱っていうか、独り芝居みたいで」
マリソルにとっての、不安や苛立ちの解消法が、詩の暗唱だった。小さい頃、戦争へ行った父が母と自分に宛てて送る手紙に書かれていた詩を、彼女は独り芝居のように身振り手振りをつけて詠うのだ。
それはヘラルドとリウィアイに会う前に、ディノだけ目の当たりにしている。おおよそ十五のだらしない娘らしからぬ、腹から出た声と指先まで神経の行き届いた仕草は、
なかなか様になっていた。
「あ~、フェリクスのかあ」
ちょうど彼と同じ戦地に行き、戦友として行動を共にしたヘラルドは、懐かしむように呟いた。
「あいつ、手紙マメに書いてたもんな。
そういや、ディノも昔は、あいつを真似て書いてたっけ」
人の悪い笑い声が、御者の席から漏れる。
途端に顔色を悪くしたディノに、少女は首を傾げた。
「え? 何を?」
「詩だよ、詩。ポエム」
その言葉に、マリソルだけでなく、リウィアイも身を乗り出す。
「ポエム~!?」
ニヤー、と口の端を上げた少女が、隣の傭兵の顔を覗きこんだ。
「え? おっさん、ポエム書いてたの?」
ねえねえ、と彼の弱みを見つけたマリソルは、攻撃の手を緩めることはしない。
「マジで? かあいいトコあんじゃん、おっさん~」
「いや~、俺ちらっと見たの憶えてるもん」
「やめろヘラルド、死にたい」
ボカへと向かう幌馬車の中、ディノの顔色はさらに悪くなっていた。彼はしばらく、この話題でからかわれるのだが、それは本筋とは別の、小さな小さな話。